なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【おばあちゃん】

 おばあちゃんはいつもあまり話さない。他人の陰口を言うこともない。私が父は何点くらいの婿かと聞いたら、あなたの考えはどうかと聞くので堂々と0点だと答えた。おばあちゃんが笑って陰口を避け続けるので「私がお父さんのような男性を連れてきて結婚すると言ったら?」というと「…だめだ」と言った。おもしろすぎるおばあちゃん。

 昼にはスンチョンに行かなければならず一緒に家を出た。静かな道を歩いているとおばあちゃんがふと「ここにると退屈だから行こうと言ったんでしょう?」と言った。私は絶対に違うと、一人で旅行する機会がもうないかもしれないからそうしたのだと言った。そして気がとがめたのか「退屈だから行くのでは絶対にない」と3回も行った。実際半分はその通りで半分は間違った話だ。おばあちゃんと話してみるとすぐに沈黙が訪れ、ここは本当にやることがない。久しぶりに一緒にいるのにスマートフォンや本ばかり見るのも嫌で。おばあちゃんとたくさん話をしたかったけど、以前はおばあちゃんが面白い話もたくさんしてくれたのに、もう話のタネが尽きたのかもっと話さなくなった。しかし本当に一人で旅行する機会があまりないかもしれないという話も正しい。

 とにかく私たちは一緒に歩いて、祭りをやっている会館の前に到着した。おばあちゃんおじいちゃんが本当に多かった。そこで「おばあちゃん元気でね」抱きしめて挨拶した後汽車の駅に向かって歩き続けた。後ろを振り返るたびにおばあちゃんが早くいけと手を振った。私もおばあちゃんが小さくなるまで後ろを振り返り続けた。

 昨日した会話が思い浮かぶ。「おばあちゃん最近一番幸せだった瞬間はいつ?」と聞くとおばあちゃんは毎日一人でいるのに幸せなことがどこにあるのかといった。その通りだね。気後れして「私が来て幸せ?」と言ったら「うん。うれしい」と言った。「幸せとまではいかないみたいだね?」というと「うれしいのが幸せなこと」といった。おばあちゃんを思うと胸が痛くなるのが憐憫の様で嫌だが、愛だと考えると少しはましだ。愛から来る憐憫はどうしようもないことだ。