なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 10週目

なんで私のこと好きなの?

これでも?これでも?

 

インターネットに流れる自尊心テストをしたがマイナス22点になった。自尊心が低いのはわかっていて、さらに何年か前の検査の時より高くなったようで友達と家族に冗談を言いながら言いふらしたが、実際気持ちはよくなかった。問題の大部分が私がいつも悩んでいた部分だったからだ。新しい状況、他人に見せる自分の姿、他人に見せる敵対心などなど。とても長い間私の中に根付いた決して変わることのなさそうな問題だった。なので戸惑って悲しくなった。見知らぬ他人からどうやって暖かさと安定を感じることができるのか私としては想像するのが難しい。失敗や弱点、短所に対して自らのせいにしない方法がわからない。

 

先生:お元気でしたか?彼氏の友達にも会いましたか?

私:いいえ。会いませんでした。彼氏が外見の強迫に対する文を見たんですが驚いているんですよ。本当に知らなかったと。友達に会いたくないなら会うなと言いました。でも言ってみるとすっきりしながらも恥ずかしかったです。

先生:そうでしょう。少なくとも数十年は隠してきた感情を表したから当然恥ずかしいでしょう。過渡期だと思ってください。

私:私は正直なほうだと思っていましたが、耐えることが多かったと気づきました。例えば彼氏が私の前で外見の強迫に対する文を声に出して読むんですよ。それがとても恥ずかしくて嫌だったんですが、私の頭の中では「いや、嫌がらずに受け入れなきゃ」と思ったんです。しかし自動に思ったことは「あぁ声に出して読むから嫌だ」だったじゃないですか。なので最初に思った通り「声に出して読まないで」と話しました。最近は2次検閲や考えに入らずすぐに伝えようとするほうです。

先生:そうしてみると衝動的にいくこともありますね。

私:あぁそうかもしれませんね。そして極端に考える癖を直しています。会社に仲のいい友達がいるんですが、お互いつらい話や感情を共有します。でも私がものすごく忙しくて気持ちの余裕がない状態なのに、その友達が自分の話をワーッと吐き出すんです。それが手に余ってしんどかったです。万が一もともとの自分の思考回路だったら「あぁこの子が私をどれだけ甘く見たら自分の話をこんなに吐き出すだろうか。私は感情のごみ箱なの?」こんな風に考えて辛くなるでしょう?「私はもともととるに足らなくて馬鹿な人間のようだ」こんな風に。でも今回は「私が楽で話をよく聞いてあげるから私にするんでしょ、とるに足らないからそうしてるんじゃない」と思いました。

先生:もう少し振り切れるといいですね。

私:どうやって振り切りますか?

先生:自尊心をよりあげられる方向にです。全く同じ状況なら「やっぱり私じゃなきゃこんな話を聞いてあげられる人がいないんだな」程度まで考えても大丈夫です。自分自身に言う言葉なのだから。

私:そんな傲慢な考えをするんですか?

先生:その自由を少し楽しむといいでしょう。

私:私自身にだけですか?そして自尊心の話で思い出したんですが、私は「あいつの自尊心」という考えをたくさんするんですよ?「自尊心が高ければどうで低ければなんだってこんなに大騒ぎするの?」と。でも本を見ると「自分自身を愛してこそ他人にも愛を与えて自分も愛されることができる、自分自身を無視したら他人も自分を無視するようになる」という言葉が多いじゃないですか。それがありえないと感じます。私は私を長い間嫌悪してきたんですよ?それでも私を愛する人はいつも存在したんですよ?そして私自身を愛していないにも関わらず私は他人を愛してます。自尊心とは関係ないのではないですか?

先生:愛を少し歪曲してみることがあるということでしょう。

私:私自身を愛していないなら?

先生:そうです。一旦疑うことから入ります。例えば私は私の外見をきれいではないと思うけどほかの人が私の外見を褒めたとき、「この子がなんで私にそんなこと言うの?腹黒いこと考えてるの?」と考えることもあるでしょう。逆に私の外見に満足するならありのままを受け入れることもできるでしょう。自尊心と関係なく「誰かが私を愛した」という事実で終わらせるのではなく、それを果たしてどのように受け入れるかの問題の様です。

私:あ…受け入れる問題なんですね。自尊心が高ければもう少し肯定的で健康的なほうに流されることもあるということですか?

先生:例えば誰かが私を好きです。そしたら「私も私のこういう面が好きだけど、気持ちを一度あげてみようか?」という反応と、「あの子はなんで私のような子を好きなんだろう?おかしい」こういう風に考えることとは差があるということです。

私:あ…確かに。

先生:自尊心によって他人の真心が違って感じることもありますから。実は自尊心を上げるための特別な方法は特にないんです。今お話ししたように本来であればある状況でこういう風に考えただろうに、少し違う風に考えたことを認知したことからがはじまりになることもあります。認知することと認知できないことは違いますから。

私:もともとは私が極端だと知りませんでした。他の人が極端だと言っても「あなたたちが知らないからよ」と思いました。

先生:そうやって考える人は結局2種類です。極と極は通ずるという言葉もあるじゃないですか。自分をとても卑下する人と自分自身をとてもおだてる人。万が一中間に合わせなければならないなら、自分への愛着が強すぎる人よりは卑下する人がよくなる可能性が大きくないですか?

私:自己愛が強い人がよりつらいのですか?

先生:治療の必要性を感じられないでしょう。本人の楽しさと自信を落としてしまうからほかの人の話を聞くのもつらくて。本人が大丈夫だ認めてもらおうとここに来る場合もあります。人々が自分に嫉妬していると感じるのでしょう。

私:そういう人たちはよくなるのがつらそうです。すべてのことを嫉妬として受け入れてしまうから。

先生:低い自尊心を克服するために無意識に新しい自分を作ったり、自分の見たくない面を閉じ込めておいて反対の姿を現す場合があります。自尊心が強いふりをするけどその分傷つきやすいです。

私:そうなんですね。

先生:過大妄想まで行ったときよくあらわれる症状は躁うつ病です。とても激しい憂鬱状態に勝ち抜くために起こります。昨日は丈夫だったのに今日突然「この人おかしい」という感じるならほとんど躁うつ病です。精神分裂がゆっくり進行するなら躁うつ病は突然現れます。より極端に行くと「私がイエスだ、仏だ」といいます。誰かが自分をやっつけようとするんだと隠れたりもして。

私:あぁ本当に狂ってしまうんだな(ところでなぜ突然躁うつ病に話が流れたのかわからない)。

先生:代わりに長くはありません。精神が戻ってきたときよりつらいこともあります。

私:現実がとても嫌で逃避してしまうのでしょうか?

先生:そうです。協会に一生懸命通った人はいつの間にか神様になってしまうのです。ほかのものを救済できると考えます。

私:ふーん…私悩みができました。(ほかの話に移ったところをみるとあまり興味がなかったみたい)

先生:どんな悩みですか?

私:お酒を減らしたいです。私がアトピーがあって飲みすぎると蕁麻疹がでてくるんですよ?昨日飲みすぎて朝に皮膚もよくなくて、自戒心を覚えた状態です。

先生:酒を減らそうと思ったのはいつからですか?

私:その考えはずっとしてます。でも夜になって家に帰ると当然な一日の順序のように飲みます。

先生:酒のどんな部分が助けになるようですか?

私:朦朧とした状態を楽しみます。

先生:そうすると気持ちが少し楽ですか?

私:はい。気持ちが楽で、文章もよく書けます。

先生:文章を書くための道具であるともいえますね?

私:とても一部は(実際に文章を書きたくて酒を飲むこともあるけどこれは本当に一部でただ飲む)。

先生:文章を書くための状態が泥酔ではないのではないですか?

私:そうです。酔ってしまうと文章だろうとなんだろうと完全にくずになります。節制ができなくて初めから酔うまで飲みます。

先生:一人で飲むときもですか?

私:そういう時もありますが、酒が好きな友達と一緒に飲むとより節制ができません。

先生:その友達と会わなければいいですね。

私:どうでしょう。酒をやめたくて来る人もいますか?

先生:はい。

私:どういうことを指導しますか?

先生:アルコールに対する依存がとてもひどくて一日でもやめると不具合を感じるなら入院を勧めます。その程度ではないなら酒の衝動を減らしてくれる薬を使ったりもします。

私:私もその薬が飲みたいです。

先生:酒を飲む理由が安定をもたらすためなら、起きたら禁断症状があるじゃないですか?禁断症状が出ないように酔うことと似たような安定感をくれる薬を使ったりもします。

私:私は薬を飲むほどではないのでしょうか?酒がおいしいです。

先生:はい。辞めたい気持ちがあるわけでもないじゃないですか。

私:はい。酒がとても好きです。

先生:ただ適度に飲みたいのでしょう?

私:はい。太りますし。平日は飲まず週末だけ飲みたいのですが、実は実践したい気持ちがわきません。

先生:本当に必要で飲むことと習慣のように飲むことは違います。意志が必要であるようです。できないなら薬の助けを借りてもいいです。一緒に飲む友達と会う回数や日にちを調整するのもいいと思います。

私:はい…。