なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 7週目

規定して、断定して、失望して、離れて

 

先生:お元気でしたか?

私:いいえ。前回仲良くなった友達いるじゃないですか。いつからかその友達の顔色をしょっちゅう伺うようになりました。影響も大きく受けたし。その友達に本を貸してあげたんですが、私の本の趣向を否定されるのではと怖かったです。

先生:反応が良くなかったですか?

私:感想をカカオトークで送ってくれたんですが、内容が私が感じるには非難に近い感じでした。実際非難されてもその本を非難しただけなのに、私とその本すべてを攻撃するように感じられました。なので私も知らずに「あなたは傲慢で疲れる」と暴言を吐きました。そうしたらよりひどい暴言が返ってきて、私は傷ついてそのカカオトークをぜんぶ無視してしまいました。

先生:気分はどうでしたか?

私:その友達をなくしたという事実よりはまた私を無視する人に会ったというところに焦点が合いました。とても憂鬱になって腹が立ちました。簡単な私が嫌で、その友達も憎かったです。

先生:最も大きい問題はやはり白黒理論ですね。

私:白黒理論ですか?

先生:はい。自分をコーナーに追い込んで「白と黒」二つのうち一つだけ選択しようとしますね。人と付き合うか付き合わないか、とても親しいか二度とは会わないか、爆発するか我慢するかです。いつもイェスもしくはノーの選択肢だけ存在して、中間段階は初めからないですね。そしてその友達とは「特別な関係」という思いに我慢して耐えて関係を続けようとしていたかもしれません。本当の自分の姿ではないから疲れたのです。

私:そうです。初めはその友達と私が似ていると思いましたが知ってみると違って、そしてしょっちゅうぶつかったようです。その友達が私の考えとは違う意見を話すと私を攻撃していると感じ、傷つきました。なので傷つかないようその友達の考えに私を合わせたり、初めから見ない選択肢しかなかったです。正直に話してみることもできたし、少しはよそよそしい関係を続けることもできたのに…。

先生:灰色にも無数に多くて違う色があるのに、灰色は一つだと断定しているようです。スペクトラムも立体的であるかもしれないのに一直線として見ているように。

私:恥ずかしいですね。人は立体的だといつも考えながら、私は毎回平面的です。だから人のある姿を見て「この人はこんな人」と規定して断定して、評価して離れたりします。

先生:例えばセヒさんがある作家の文章が好きでも、その人と実際に会って失望したらすぐに背を向けると思います。

私:あぁそうです。それはその人の一部分でしかないのに。

先生:この問題は相手を評価するのにとどまるのではなく自分にもその物差しがそのまま返ってくるというのが大きな問題です。完全に酔った次の日に苦しくなることも似た道理でしょう。

私:私が崩れ落ちるある姿を見せると、その部分のせいで周囲の人々が私を嫌って離れるだろうと思います。しかし私は愛する人々の多様な姿を知っています。悪い部分、かっこいい部分、気が小さい部分などなど…。否定的な部分があってもただその人なので好きです。そうしながらも私自身はとても小さくて部分的な側面としてもたちまち捨てられるかもと考えて不安に思います。

先生:結局自尊心のせいでしょう。自尊心が高く自分の趣向に対する確信があればその人がそれを批判しようと非難しようと気にならないでしょう。

私:そうですね。どれほど私の趣向に自信がなかったらそんなことを心配したのでしょうか。評価が一体なんだというの。確実に私は自尊心が低く、その友達に多くの影響を受けていました。私の中心が固く立っていないから相手の話が私に向かう攻撃に感じられ、多様性があることもあるのにそれを「正しいかどうか」という視線でだけ見るようになったようです。

先生:ほかのことはありませんでしたか?

私:今回気づいたことがあります。私は愛情と影響力を同一視しました。私の根がとても弱くて深くないせいで相手に多くの影響力を行使してこそ安心できました。なので相手が私から影響を受ければ受けるほど私を愛しているのだと信じ、関係が強固になると考えました。強固になることとめちゃくちゃに混ざることは違うことなのに、頭では他人と自分が主体性をもって共に行くことが健康な関係だと思いながらも、心は相手が私の言葉に大きな影響を受けず(ここでいう影響は私の話に大きく動かされたり感銘を受けて、私の価値観の通りに行動して、変化して、従うことをいう。本当におかしい)完全な自分として存在しながら私を深く愛していないようで不安でした。

先生:認証欲求をより強く作る行為です。自分が影響を受けたいと思うほど相手に影響を与えようと努力し、相手が反応しないとより努力します。そうするうちに疲れてしまうんですよ。これもまた極端で、自分の限界を規定しているのでしょう。「私が影響を与えてこそ私を愛してくれるんだ」という信念も極端です。

私:ならどのようにすればいいでしょうか?

先生:自分にもっと集中しなければなりません。具体的に自分が好きなことが何なのか直接書いてみて、自分が見る私と周りの人が見る私の差も書いてみてください。そして顔色をうかがいながらした行動をもう少し主導的にしてみるのがいいです。

私:私は私の心のままに行動する方なんですが?

先生:本当にすべての人に同じような行動をしますか?

私:いいえ。その友達には少し合わせていたようです。なぜそうしたのかわかりません。私ではない私の姿がしきりに現れるから疲れて、そうしないようにするとわがままに接するようになります。

先生:そうしてでも本当の自分を表出しないと。もう少し主導的に人々を意識せずに自分がしたかったことをしてください。今は関係がせまくて三角形のようで心をたくさん突き刺すでしょうが、8角形より16角形が円により近いじゃないですか?多様で深い関係が多くなるほど円のように丸く鈍くなって心を突き刺さないですよ。大丈夫になりますよ。

私:(感動の涙)はい。ありがとうございます。