なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 6週目

私をよく知るにはどうすればいいですか?

 

先生:どのように過ごしていましたか?

私:元気に過ごしていました。

先生:昼間は眠くなかったですか?

私:はい。夜もよく眠れました。途中で2,3回起きはしましたが、機能も10時間寝ましたし。しかし酒に酔った時は大丈夫ですが、眠りから覚めるとやたらと元カレに会いたくなります。なぜでしょうか?

先生:連絡は来ませんか?

私:来ません。

先生:思い出さない方がもっと変でしょう。共にした時間があるから。それを変だと思わないでください。

私:ある意味酒に酔った時がより本心ではないですか?

先生:酒に酔うことが必ずしも本心だと考える必要はありません。酔うときある程度勇気や衝動が生まれはしますが、第3の人格が現れたりはしません。

私:(突然雨音が聞こえる)今雨が降っているみたいです。そして仲良くなった友達が新しい影響を与えたんです。ある人と近づくとその人が好きなものを一緒に共有したいじゃないですか?なのでその子が好きな本を読んで音楽も聴いてみましたが、新しい本と音楽を知ることができてうれしいです。また来週から私が好きになった作家の小説授業を聞くことになりました。

先生:一人でやるんですか?

私:はい。以前に落選したブランチ(作文プラットフォームサイト)作家も今回選定されました。それがよくて、また友達と一週間に1度そこに読書感想文を書くことにしました(しかしたった一度で終わった)。そして私が2年間小説を書かなかったんですが、久しぶりに短編小説の構成をしたら気分がよくなりました。「完全に正直になってみよう」と思って構成しました。

先生:想像の国を広げると助けになることが多いでしょう。現実での衝動を減らすこともでき、代理満足にもなりますし。タトゥーはどうなりましたか?

私:今日やりに行きます。

先生:誰と行きますか?

私:一人で行きます。今日新しい人に会います。私がブログをやっているのですが、一人で落書きをするように文章を書く場所なんですよ?いつからか文章にハートを押す人が2人ほどできました。私も自然にその人たちと相互を結び、文章も見ます。親密に過ごすわけではなく関心もなかったです。しかし私が来院記録を書き始めた日にある人が頑張れとコメントしました。そのあと私が「完全に憂鬱だ」という内容の文を書きましたがその人が頑張れと、後で美味しいものおごってあげるという内容のDMを送ったんです。その時なぜそうしたのかわかりませんが「土曜日に行きます」と約束をしました。今日の夜その人と会います。

先生:怖くはないですか?

私:変ですが怖くないです。疎通ではない疎通をしたからでしょうか?もともとの性格の場合だと人身売買だったらどうしようと思いとても怖がるんですよ?しかし今回はおかしいほど怖くありません。

先生:文章で疎通してみると互いを理解するようになることもありますが、注意はしないと。しかしそれが何であろうと本人が選択したものならいいですね。

私:以前なら「インターネットで会う?何それ大嫌い!」こうだったのに、全く変だと思いません。それでも1時間以上連絡がつかなければ友達に通報してと言わなきゃ。

先生:そんなことなら何しに会うんですか(笑)会うとき連絡先を交換するんじゃないですか?

私:はい、その時交換しました。

先生:連絡先を友達に教えて置いたらいいですね。別れた彼氏から連絡が来ないのは寂しくないですか?

私:寂しくはないです。もう少し時間が経ったら私が連絡してみようと思っています。その子が私と本当に終わらせようと考えているならこのようではなかったらと思います。最後がとてもひどかったです。

先生:なぜ時間が必要なのですか?

私:怒りが静まる時間?のようなものです。胸が痛い事実は、私はあの子を絶対に無視したわけではないんです。しかしあの子は私が自分を完全に無視したと考えているんですよ。それがあの子を長い間苦しめるのではないかと心配になります。

先生:どっちにしろその時間をちゃんと終わらせたいという気持ちはいいことです。しかし以前は「私に似合って必要な人はこんな人だ」と思ったなら、これからは多様な相手と出会いながら均衡をつかむこともできます。例えば初恋の人と別れてから「二度とこんな恋愛はできないだろう」という人もいますが、時間が経つと新しい人によって忘れられるでしょう。今はまるで思春期を過ごしているかのように、今までとは少し違う選択もしてみて、失敗することを知りつつも失敗を経験してみる時間が必要だと思います。

私:そうです。そして友達が最近の私を好みます。明るくなったって。

先生:友達の話よりは自分の満足度がより重要です(固い意志)。

私:それがやたらと行ったり来たりするから…、今週はよかったです。私自身も気に入りました。また文章を書こうとすることも、小説授業の申請をしたこともよくて、今週は私に対する満足度が高かったです。

先生:タトゥーも上手くいかなきゃなのに。

私:うまくいきますよ。そして前回先生が言ったじゃないですか。いいこともたくさん増えているのに悪い証拠ばかり探して使用していると。私がなぜそうなのか考えてみました。例えば私が誰かに振られました。そうすると「彼は私を好きではない」と考えても、本の内容の中に「愛の形と色はみんな違うから君の考えるとおりにだけ判断するな」こんな言葉をみると「そうだ、彼も多様な考えをすることもあるだろう、他の事情があるかもしれない」このように考えを変えても私が合理化しているようでしないようにします。

先生:合理化をなぜ否定的に見るのですか?

私:なんか真実を拒否して受け入れない感じ?

先生:成熟した防御規制のうちの一つです。自分の傷や決定に対して理由を見つけるから。

私:私を守ろうとする方法として大丈夫でしょうか?

先生:はい。理想的な判断をするのでしょう。過度になるとまたほかの問題になることもありますが、いくらかはいい方に見ることもできます。

私:友達が私に恋愛相談をしたことがあります、しかし私が「ねぇそれキープだよ!キープも知らないの?」と言いました。しかし友達は私の話に全く影響を受けませんでした。「違う。あなたが話だけ聞いて私たちの関係をよく知らないからだよ」こんな風に。私もそんな風になりたいです。今までは他人の言葉により依存して、他人の基準で判断してきたようです。

先生:そうするならまずは自分自身を一番知らないと。

私:そうでしょう。私は私をよく知らないようです。

先生:そうなんです。

私:私をよく知るにはどうすればいいですか?

先生:多くは自分自身を一番よく知っていると思っていますが、「本当に私がよく知っているか?まるで目の見えない人が象の足を触るように私が見たい姿だけ見ているのではないだろうか?」と考えてみます。

私:それなら何が合っていますか?

先生:後で立体的な姿を見てみないと。

私:あぁそうです。そうです。人を多面的に見ようとするとその人を憎む理由がないようです。私もちょっとそうなりたいと思いました。

先生:子供が読む童話は平面的じゃないですか。悪い人と良い人がはっきり分かれています。しかし成人した後に読む本の中の人物は単純に「いい、悪い」の基準でだけ話せないじゃないですか。人を総合的に見てから判断されるといいでしょう。自分を見る時も同じです。

私:書いてみるのは?

先生:書いてみるのも助けになるでしょう。また現実でできることはその時その時行動としてしてみるのです。自分が今日タトゥーをするならタトゥーをする前の感じとタトゥーをした後の感じを書くんです。そうしてみるとあとで共通的な部分を見つけるかもしれません。「私がこんな面に怖さを感じるんだな、こんな面に安堵を感じるんだな」みたいに。立体的に見ることができる一つの道具になることもあります。