なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 2週目

私もしかして虚言癖があるのでしょうか?

 

私はしばしば嘘をついた。ひとつひとつ思い出すことは難しいが思いつくまま書いてみたら、会社でインターン業務をした時だった。課長と昼食を食べに行く途中で自然と海外旅行の話が出て、課長は私にどの国に行ったことがあるか聞いた。私は当時海外旅行に行ったことがなく、その事実が恥ずかしかった。なので日本に行ったと嘘をついた。ご飯を食べている間ずっと、課長が日本旅行について聞くのではないかと怖かった記憶がある。

 私は感情移入がうまく、共感もうまく、また共感をうまくしてあげなければならないという強迫観念まであって、相手が私にある話を打ち明けたら私もそんなことがあったと嘘をついたりもした。笑ってもらいたくて関心を集めたいときはまた嘘をつき、同時に自分を責めた。

 大きな嘘ではなく日常の中のこまごました嘘であるためばれる懸念もなく、だから大きさは小さくても回数は増えていった。自責の念のためにとても些細なことも嘘をついてはいけないと決意したのに、今回酒に酔って友達に嘘をついた。その嘘はとても恥ずかしくどうしても口に出すこともできない。今回のことですべての努力が水の泡になった。

 

先生:お元気でしたか?

私:いいえ。元気ではなかったです。木曜日までずっとよくなかったんですが金曜日と土曜日には少しよくなりました。この話を全部することで治療に助けになりますか?

先生:不便でなければです。あとにしてもいいですし。

私:理想化された基準を下げることは可能ですか?

先生:自尊心ができたなら低くすることはできるでしょう。完璧に対する探究、理想を追う心自体ができないこともあります。

私:自尊心ができることもありますか?

先生:おそらく。

私:私関心を引きたがる人のようです。認証欲求も強く、だから虚言癖があるみたいです。一度話をするとき笑わせたくて少し過剰だったり拡大して話して、相手の話に共感したいときは「私もこんなことを経験したことがある」と嘘をつくことがあります。それ以降とても苦しいです。だからもう小さなことでも嘘をつかないようにします。それが私にとっても楽なんです。だけど土曜日に診療を受けてから友達とお酒を飲んで酔ったんですが、全部思い出せるんですよ?だけど嘘をついたんです。

先生:その内容も共感のためのものでしたか?

私:いいえ。ただ関心を集めたいという気持ちだったようです。共感を得る話ではなかったです。

先生:酔っていなければしなかった話でしょうか?

私:絶対にしない話でした。

先生:それなら酔ってしたことじゃないですか。そう考えましょう。

私:(困惑)そう考えてもいいんですか?精神病者ではないですか?

先生:いいえ。嘘は認知機能が落ちる時たくさんし得ることです。酒に酔った時も同じですが、記憶力や判断力が落ちるじゃないですか?その空白を埋めるために無意識的に嘘をつくこともあります。まして酔った人も自分は酔ってないというじゃないですか?話の繋がりなく出てくるまま話すこともあります。

私:私は大丈夫でしょうか?

先生:大丈夫です。酔った時は自分を抑制する理性のひもを手放すようになります。専門用語では「脱抑制」といいます。酒や麻薬類に接したとき脱抑制が起きます。なので衝動的な行動が多く表れ、自分がタブー視した行動をするようになります。しかしただ一日程度だけ自責すればいいです。「あぁ、次からはこんな風に飲まないようにしなきゃ」程度だけでも充分です。

私:苦しがる時間が少し短くはなりました。

先生:自分のせいにするのではなく酒のせいにしてください。言ったじゃないですか。酒を飲まなければしなかったことで、酒に酔ってしたことだと。

私:これは虚言癖ではないですか?

先生:違います。ただ酒に酔ったんです。

私:先生、私は完全に酔っても嘘ひとつつかない子たちがとてもうらやましいです。

先生:そんな人がいますか?寝る人はいるでしょう。失敗する頃に睡眠中枢が先に酔って寝てしまうのであって、多くは嘘をつくでしょう。そうでない人は酒に強いんです。

私:あぁ…先週私が正しくありたいという理由は優しいからだとおっしゃったじゃないですか。そうじゃなく、私が正しくない人だから正しくありたいと思うようです。

先生:自分が正しくない人だとすでに規定してしまったのでしょう。それが何であろうと基準線が高ければ今の自分の状態をとても否定的に見ているという証拠になることもあります。自分を改善していかなければならない人のように見ているのでしょう。今も同じです。酒は酔おうと飲んだものなのに、酔わない人をうらやましがっているのです。

私:こんな風に話してみるととても簡単に見えますね。そして今回会社を辞めたいと思っているんです。多くのことがストレスだったんです。水曜日には同僚と酒を飲んだんですが、他の人から見ると今の私が楽な位置にいてチーム長もいい人なんですよ?その友達は大変な状況で。だから友達の話を聞いてあげる状況になったんです。だけど私も辛いんです。私も辛いのに他の人の話ばかり聞いてあげているんです。会社の外の友達も、会社の同僚も他の人がもっとつらいと考えるのでしょう。突然悔しい気分になりました。

先生:怒るのは耐えたんですね。どのように決めなければなりませんか?

私:チーム長に相談してみようか悩んだんですが、その日チーム長が頼んだ仕事ができなくてくよくよして午後になってようやくどのようにしたらいいか聞いてみたんです。だけどとても明快に解決してくれました。それがとてもありがたくて、だからより離せなくなったんです。チーム長も大変だから。

先生:なぜそんなに人が大変なのをよく知っているんですか?

私:(ドキッ)どうしてでしょう、実際はわからないのではないでしょうか?

先生:辛いといってください。

私:なんていったらいいのかわかりません。

先生:ほかの人を見ながら学んでください。ほかの人も辛いといっているからわかるじゃないですか。セヒさんは辛くない人にも「辛いでしょ?」と聞いているようです。

私:(この時涙が零れる)私優しいふりしすぎですよね?

先生:優しいです。優しいのをどうしろっていうんです。

私:優しいんじゃなくてただのチキンみたいです。

先生:「ほかの人よりは私がましじゃない」と考えながら自分が辛いという言葉を言えないようにしているんでしょう。例えばどこに行ってもそこにいる人々は「ここもしんどい」と話すこともあります。しかし今は「あぁあの友達も辛いのに私が知らなかったんだなぁ」と責めているのでしょう。ほかの人の感情を考えるのはよいことです、関心を注ぐことはいいでしょう。でも一番先に自分を点検したらよいでしょう。自分の気分を先にです。友達に言うこともいいですが、一緒に働く内部の人間にも「私は大丈夫」ではなく「私はあなたに比べたら肉体的には楽かもしれないけど、ここも大変だ」ということを話すことが自分も楽で相手も楽になるかもしれません。

私:会社の人には話したことがないですね。実はそのようにポーカーフェイスでもありません。感情をうまく隠せないんです。木曜日に会社を辞めたかったときは誰が見ても怒った表情をしていました。それなら人々が声をかけられないでしょう。

先生:ただ気分が悪いのだと思うでしょう。自分に対して知っていれば解決できます。自分を知ろうとしないながらも「私がなぜこうなのか」とだけ考えていてもいけません。

私:私は私をよく知らないのでしょうか?

先生:自分に対する関心が落ちているのではないかと思います。

私:私は毎日感情を記録しているんですが?

先生:まるで第3者の観点から書いたかのような記録です。辛いときは無条件に私が一番辛いんです。それは自分勝手なのではありません。例えばある条件がいいということは、行く前までだけいいのです。職業でも学校でも同じです。合格する瞬間までだけよくて、行ってみると不満が始まります。最初から最後まで「私はここがとても好き!」ということが可能でしょうか?ほかの人は私をうらやましく思うかもしれなくても実際に自分は違う可能性もあります。だから「私はなぜ楽しくなれないのだろうか」と自分を苦しめる必要はありません。

私:わかりました。水曜日に同僚と遊んで楽しかったんですが、中途半端な幸せでした。例えば相手が「昨日私たち本当に楽しかったね!」という言葉が聞けなければ片方だけが楽しかったということでしょう。その言葉さえ聞ければ完全に楽しくなります。実際に「今私の話面白くない?」「私は今すごく楽しいのに、あなたもそう?」という話をたくさんします。

先生:他人を配慮することが否定的なことではありません。それが行き過ぎて空気を読んでいるなら問題ですが、今は空気を読んでいる行動です。

私:はい。眠るまで時間が長くかかるのですが、処方していただいた薬を飲んでからは自然に眠ります。

先生:最近もよく目が覚めますか?

私:明け方4時に一度、5時に一度ずつ起きます。

先生:寝るときは携帯を遠くに置いてください。夜に見ようと朝に見ようと同じじゃないですか。日常で先送りにできることは先送りにしてしまってください。優先順位を自分で決めるとよいでしょう。

私:金曜日の朝薬を飲むまでは不安で仕事が手につかなかったです。薬を飲んだからよくなりました。今日の朝にも焦燥感が感じられましたが、8時ころ薬を飲んだので大丈夫になりました。

先生:副作用である可能性もあります。夜に飲む半錠です。朝薬をちゃんと飲めば大丈夫です。

私:薬に中毒になっているのではないですか?

先生:薬で中毒を作ることはありません。中毒になった人もここに来るんです。

私:朝薬を飲むと楽です。

先生:穏やかに過ごしてください。穏やかなのに「この薬が私の体によくないのではないか?」と心配するためより負担になることもあります。例えば誰かが自分にプレゼントをくれたら「私もいつか返さなければ」と考えるのではなく、喜んで現在を楽しんでください。今は感謝しながらも同時に負担を感じているように見えます。

私:…(それが言葉のように簡単ならここにいますか)

先生:今も大丈夫です。酒を飲めばそういうこともあり、薬を飲んでみると副作用が起きることもあり、副作用が起きたら病院の悪口をいえばいいです。

私:(今も大丈夫という言葉に涙が零れそうになる。軽々しい)

先生:週末には何をしますか?

私:映画サークルに行きます。

先生:面白いですか?

私:面白いながらも負担になります。もともと読書同好会のようなものはやらないんですよ?文化創作科出てて、出版社に勤めているといったら人は期待するじゃないですか。映画サークルでも出版社に勤めているといったらみんなが「お~」なんて反応で負担に感じました。

先生:映画サークルrはなぜやっているんですか?

私:私はインドアなので会う人も限定的で、友達の集まり以外は彼氏とばかり遊ぶから、こんな風に20代を流していくようで。

先生:あぁ、活動を少し広げてみようと?

私:はい。

先生:それはいいですね。それならそこで期待(出版社に勤めているなら文章を上手にかくだろうという)をすべて充足してあげますか?

私:いいえ。

先生:そうだといって捨てられてはいないじゃないですか。すごいとする場合も、失望する場合もありえます。最初におっしゃった「私がこれをなぜやったのか?」により焦点を当てるとよいでしょう。

私:今回の映画は私の好みではありません。いうことがないんです。適当なことを言わなくてもいいですか?

先生:もちろん。ただ「面白くなかったんですけど?私の好みではないです」といえばいいんです。

私:恥ずかしいです。

先生:ただ各自の評価じゃないですか。正解がある問題でもないですし。もちろんほかの人の期待もあるでしょうが、自分でも知らないうちに「私は文化創造科を出て出版社に勤めているからほかの人とは違うすごいところを見せなければ」という無言の圧迫感がある可能性があります。しかし「ただこれが私なんだから」と受け入れる瞬間、もっと自由になれるかもしれません。

私:今少し自由になれました。

先生:映画を見たら絶対に意味を探し出さなければなりませんか?自分が好きな部分を誰も好まないこともあるし、自分は面白くなかったのに他人は好むこともあるじゃないですか。すべてのことをあまりにも私的に考えないとよいでしょう。感情に重点を置くのです。「もちろんいいじゃない」という考え方が重要です。

私:そうしてみないとですね。

先生:かえってサークルが終わったあとに「何して遊ぼうか?後片付けが終わったら何を食べようか?誰と話そうか?」こんな考えをするのがよりよくないでしょうか?

私:そうですね。