なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【聞く、聞いておく】

 私は本質より態度を重要だと考える。いや、態度の中に本質があると考える。とても些細で、何でもないような視点から本心がにじみ出るのだと。だから私は相手のまなざしと手ぶり、話し方と動きに集中して執着する。

 誰かを愛するなら質問が多くなる。しかしその質問を必ず言語で吐き出さなければ完全になるわけではない。時には全身から噴き出す質問もある。頬骨をついて私のほうに向かう顔、口に集中する目、うなずく顎、途中途中聞き返す言葉の濃度。そういう時私はただ私の話を休みなく吐き出しなんであろうとよいその人の質問に答えればいいだけだ。どんな言葉も質問になってどんな言葉も答えになる関係、何かをあえて聞かなくても自然に私の中に込められたたくさんの話をほどかせてくれる相手、休みなく私の口と心を注がせてくれる相手。

 反対に私たちが飲み込む数多くの質問も思い浮かぶ。誰でも質問をする。そして質問を受ける。私の考えに人々は思ったより恥ずかしさが多いようだ。全部ではないが多くのものがその瞬間のどが詰まったりこそばゆくて、または相手が嫌がるかと思い、それしきの恥ずかしさや自尊心のせいで多くの質問を飲み込む。友達は私に質問王というあだ名をつけてくれたが、私もやはり数多くの質問の山の中でかろうじて何個かを選んで取り出すだけだ。よりひそかで重く個人的で幼稚でありふれた質問であふれているにも関わらず。

 なので質問しなくても私の中の答を自然に導く人、そして私が質問しなくても私の頭の中の質問に答えるように答えを吐き出す人と会うと嬉しい私たちがつながっているよいう暖かい気分になる。

 そして少しほろ苦い。私たちが飲み込んだ質問はみなどこへ行くのだろうか?私たちの心のどこかに散らばって消えたり深淵のうちに沈むだろうか?ある行動や習慣として発現されはしないだろうか?その沈黙がある人との深いつながりを妨害しはしないだろうか?私はそれが本当に怖い。