なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【私の叔母】

 昨日は母の健康診断の日だった。同時におばあちゃんが上京する日でもあった。なれないものだとなんでも怖がる母が気にかかり、そうでなくても小さい母とおばあちゃんの二人が大きい病院の中をあちこち迷うことを考えると神経質になって半休を使って一緒に行った。

 おばあちゃんは3ヶ月に一回上京して検診を受け薬をもらう。おばあちゃんがいる地域には大きな病院がないからだ。おばあちゃんはアンサンからヨンドゥンポまで、そして今のイルサンまで病院を三回変えた。3か月に一回おばあちゃんを呼んで病院に行くことは末の叔母が請け負い、一番上の叔母が請け負い、私の母に受け渡された。

 近くに住むコ・アラおばさんはなんの連絡もなかった。私が理由を聞くと母はわからないと言い、おばあちゃんは自分を面倒だと思っているのだといいさみしがった。母の表情も複雑だった。その瞬間私の頭の中には「一週間に1度でもなく3か月に一回なのに、こんなに連絡が1度もないものなの?ひどい」と不満が浮かんだ。

 そうしていたら、その日の夕方に私の記憶の中のコ・アラおばさんが浮かんだ。本をたくさん読んだ叔母、いつもおばあちゃんといとこまでこまめに面倒を見ていた、もう過去になってしまった叔母の姿。

 叔母は私たち姉妹にとって特別だった。車もなく頼りない父に代わりあちこち一緒に行ってくれて、幼い私たちも理解できるよう簡単で多くの話を聞かせてくれた。父が母を殴るたびに、同じ路地に住む一番上の叔母には電話せずともコ・アラおばさんには電話してエンエン泣いたりした。今考えると幼いころの私にとってコ・アラおばさんは憩いの場のようだった。母より話が通じ賢かった2番目の母だった。

 そのように記憶を振り返ってみるとふと「あの人は変わった」が無用な言葉になることもあるんだなと思った。一途な人になったり、もしくはそうなることを望むことがある人にはとても酷烈な重荷になることもあるという考えが。

 人生がただ生き残ることになってしまったとき、生存が占める割合のせいでそれ以外のすべての要素は声を出せない時、その状態で時間は恐ろしく過ぎ去り結局多くのものが干からびて腐ってしまうとき、そんな状況でも一途を望むことは利己的な願いであり矛盾ではないだろうか。

 叔母の人生はこのように気を使って思い出さなければわからないくらいゆっくり叔母を覆っているかもしれない。いや明らかにそうだったと私は想像してみる。自分自身に対する希望が消えたら周囲のたくさんのものに対する信頼もともに消える。なにもしたくなく、関与したくなく、決定的に一緒にいたくなくなる。関係に対する欲求を喪失して徹底的に一人になってしまうものだ。

 このように簡単に悟れるものでありながらも、そして彼女の人生を全然しらない他人よりはかなりよく知っていながらも「それでもどうしてそうすることができるだろうか」と考えた私の怠慢な考えに失望した。違うふりをしても心に落ちた本心はいつの間にか体にしみわたり、朝に起きてからは蜂のように胃もたれを起こしてしまった。

 レベッカ・ソルニットは『遠くても近い』で「どんな感情移入は学んでこそするもので、その次に想像してこそするものだ」と言った。私の中にない種は絶対に育つことはない。だから私たちは一生他人と平行線を走るしかない。しかし私の中にないものを作り出す方法は想像と勉強だ。感情移入もやはり勉強して想像してこそするときがくる。

 感情移入はおのずからなるものだと考え私を動かさない多くのものに心を閉じて生きてきた。しかし私の中になかったものを作り出し連帯する瞬間にこそ大人になる一つの道である。私たちは多くのものと遠くても近い。そして家族であるほど近いけどはるか遠く、遠くにあってもいつの間にか横に座っていることもあるほど近い。

 私が理解できずだから移入できない感情を学んで想像すること。それが他人に向かう愛情で私の種と相手の種を干からびさせない唯一の脱出口だ。完ぺきに理解することは出来ないが、それでも紐を話さない気持ち。

 これを知ることと知ることができないことは天地の差だと考える。なのでいったん移入することができそうな人から始めようと決めた。私が愛情を持っていたが、いつからか振り向いて去ってきた人たちから。