なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【がんばれという毒】

母は自分自身を自信がなく馬鹿だと考えた。母の文章の中には必ず自身に向かう非難がまざっていた。「私は道をよく知らない、私は馬鹿だ、私は人々の話をよく理解できない、私は自信がなく、私はできない。」

 そのような性格を私たちが引き継がないわけがない。私たち姉妹は確実に外向性より内向性が濃く、自尊心が低かった。幼いころはもっとひどく、もじもじして気が小さく怖がりな子供たちだった。そして母は誰に会っても私たちの短所を先に前に出した。「この子が自尊心が低くて、この子がアトピーで。」

 自然に堂々とするより恥ずかしさが先に育った。大きくなるにつれ私は堂々としたくなり、自身にあふれたく、委縮したくなかった。母に聞いた。「お母さん私自身がなさすぎる」返ってきた答えはこうだった。「なんで自信がないの?なんで!自信を持ちなさい!」から笑いがでた。母は自分の性格が私たちにあるのが嫌だったのだ。だから私たちの短所にいつも腹を立てた。才能にあふれていればよかったのに才能がないと、ほかの人の前に出れればいいのにそうできないと、スチュワーデスでもジャズダンサーでも本人がやりたかったけどできなかった夢を私たちに希望事項として残した。本人が望むように押し付けられなかったのは本当によかったが。

 いつからかがんばれという言葉、自身を持てという言葉、委縮するなという言葉にうんざりする自分を発見した。内向的ですぐ委縮する性格のせいで学生生活と社会人生活をするたびに障害物にぶつかった。チーム別授業と発表授業が、会議とミーティングが私をうんざりさせた。経験になるだろうと考えたが毎回新しい壁が立て続けにあらわれた。新しい人、新しいこと、新しいテーマ、新しい場所。何回崩しても積もることなく終わらないゲームのように。

 滑稽にも最も力になった慰めはこれだった。「なんで震えないようにするの?なんで自信をもってやろうとするの?震えろ。頑張るな!」

 自分ではない姿を自分のように偽造するとあからさまに見えるものだ。そして私は生半可な猫かぶりが、違うふりをする姿が本当に嫌いだ。大胆ではないない人が大胆なふりをすることほど(もちろん大胆になろうと努力することとは異なるが)生半可なことはない。自信がない人が自身あふれるふりをすることほど、委縮する人が委縮しないふりをすることほどありえなく悪い解答がどこにあるだろうか。頑張れない人が無理やり頑張るふりをすることほどうら悲しく悲しいこともまたどこにあるだろうか。

 なので大学生の時は発表前にこの言葉で話し始めた。「私は発表するときとても震えて顔が赤くなります。高校の時のあだ名はレッド人間でした。発表を聞いていて私の顔を見たらとても赤くなっていても驚かず聞いてください」人々は笑った。驚くことに顔が赤くならないまま発表を終えることができた。

 最もつらい時横で「がんばれ」というと胸ぐらをつかみたい時があった。ただ横に座って肩をたたいてくれたり、もしくは一緒に悲しんだり怒ったり、経験者なら自分の経験を聞かせて思ったよりたいしたことじゃない、すべて過ぎていくとこだと話してくれればよい。それが共感であり疎通で関係と関係をつなぐ慰めだ。

 今日は私が企画した初めての本の著者とミーティングする日だ。一度もやってみることができなかった経験で、私がどんな本を作りたくてどのように改善していくべきかを直接説明しなければならない。人と人がつながった仕事なので自然に。また私を見守る課長の横で。私はもともと委縮する人で自信がない人だ。そして強いてそんな姿を隠す考えもない。あえて委縮して見せようと卑劣なふるまいをするわけではないがそうかといって肩と胸を開いて力強く話して作為的な演出をする考えもない。ただ私は正直になろうと思う。結局私は私自身を慰めて引き締めるしかない。完ぺきではない私を抱きしめてあげて、そうでなくても大丈夫だと言ってあげて、頑張るなと私の内側にささやきながら。

 がんばれという言葉、自信をもって委縮するなという言葉は時には毒だ。そうできない人の心の中に入り込む傷だ。10年間すべての自己啓発本とエッセイが鞭ではなく「慰め」になったように、足りなくても大丈夫だし下手でも大丈夫。頑張らなくても大丈夫。私は今日うまくもできないかもしれないのだ。それ自体が経験だ。大丈夫。