なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 9週目

行き過ぎた外見の強迫と演劇性人格障害

 

先生:一週間お元気でしたか?

私:少しよくなりました(副作用の症状が消えた)。

先生:周りの人の反応はどうでしたか?

私:先週会社の同僚に辞めるという話をたくさんしたんです。友達に副作用の話をしたら、仕事が辛かったからだと思ってたのに薬のせいだったのかと言いました。恋人に「私すごく敏感だった?」と聞いたらひどくはなかったと言って、私もものすごく楽になりました。

先生:逆に言うと先週はものすごく不便だったでしょうね。

私:はい、ものすごく。でも相変わらず働きたくないです。

先生:なにかありましたか?

私:何もなかったです。今日は誰にも言えなかった話をしようと来たんですよ?ある意味大したことないのに私にとってはものすごくコンプレックスな部分です。私は自尊心が低いじゃないですか、だから人から見える姿がとても重要なんですよ?本当に恥ずかしいですが、外見に対するコンプレックスと強迫観念がとてもひどいです。私の顔が嫌で。例えば私の顔を評価するんじゃないかと思い恋人の知人に会えません。

先生:ほかの人の外見を見るときもそうですか?

私:ほかの人の外見を評価するかですか?

先生:はい。

私:はい。評価します。私が顔の評価をたくさん受けるんですよ?

先生:受けるとはなんですか?

私:受けるという言葉が少し笑えるんですが、私としては受ける気分です。暴力的に感じるんです。ただスルーすることもあるけど、私をものすごく突き刺す言葉です。だから誰もが意見に対する話をしなければと思います。今勇気を出して話すことなので筋が通ってないですが、ただ検閲しないで話します。女の子は私をきれいだという人が多いのに、男の人はそんなにいないんですよ?人気がありません。例えば女の子たちはほかの人に「うちの会社で一番きれいな子」こんな感じで紹介することがあります。私はそれがとても嫌です。顔の評価に繋がるからです。夏に友達と友達の知人(男)に会いに行ったんですが、友達がその人に私を会社で一番きれいな子だと話したんです。だから私が友達に「そんな話をなんでするの!そうでもないのに」と言ったら友達が「なんで?ただ主観的な評価じゃん」といってスルーしました。しかしその男性が私を恥ずかしくさせました。「会社で一番きれいだって聞きましたよ?」こう言いながら揶揄するかのように。

先生:それを揶揄だと感じたのですか?

私:私は揶揄のように感じました。その人が「だから何、俺のタイプじゃないです」と言ったんです。戸惑って腹が立ちました。私はこんなことがかなり多いです。だからやたらと「私は男の人が見たとき奇麗じゃない顔なんだ」と思うんですよ?しかしそれを受け入れることが難しく、嫌で、私の自責の念になって、コンプレックスになってしましました。どういう意味かわかりますか?

先生:はい。

私:なのにどうして何を言ってるかわからないような表情なんですか?(なんでこんなにやつれてる)

先生:いえ、ただ少し、複雑で。

私:恋人は私がタイプだそうです。だから私がかわいいのでしょう。だからみんなに私の話をたくさんして、私はだんだん周りの人に会うのが嫌になるんです。昨日は犬の散歩に行こうとちょっと恋人の家に行ったんですよ?彼が同期2人と一緒に住んでます。家に誰もいないかと思ったのに人が3人もいるんです。その時私はほぼすっぴんだったのに。突然まさに心臓が跳ねながらその人たちの目も見られなかったんですよ。それで挨拶だけしてあたふたと出てきました。出てきて彼氏に「私すごく人見知りした、人が多すぎた」と言ったら彼氏に「そうだろ、人がちょっと多かったよね?僕も知らなかった」と言ったんですが、その出会いが死にたいくらい恥ずかしかったです。

先生:外見に対して期待を充足させなければなりませんか?

私:それは主観の領域だから充足させることはできないでしょう。頭ではわかってるけど、実際にはうまくいきません。本当にこの問題にものすごく自責します。例えば芸能人もすべての人が気に入るわけないじゃないですか。しかし私がなんだからほかの人がみんな私をきれいだと言わなきゃならない?それがありえないことはわかってるんですよ?とても嫌なのに治らないです。

先生:自分が考えるご自身の外見はどうですか?先ほどおっしゃったように女性は自分をきれいだと言い、男性には人気があまりないとおっしゃったじゃないですか。それでは自分の外見を男性の視点で見ているのでしょうか?

私:はい。だから私の顔が嫌いです。

先生:手術まで考えたことはありますか?

私:鼻の手術をやりたくて、頬骨も削りたかったです。

先生:実際に調べましたか?

私:調べましたよ。相談まですべて受けました。

先生:それなのにやらなかった理由は?

私:「ここまでしなければならないか」と思って。「私の顔を受け入れて愛そう」という意思が止めました。

先生:「この程度なら大丈夫でしょ」とは思いませんでしたか?

私:そう考えるときもあるけど、だいたいはそう思いません。そして私が友達と執筆サークルをやってます。その友達は私がよく見せなければならない人ではないじゃないですか。なので人見知りもせず楽に過ごしてたんですが、突然私の被害妄想が発動しました。先週男の子2人が私の友達にだけもっとよくしてあげてるみたいなんです。その友達はもともと人気が高いから「あの子たち2人ともこの子を好きみたい」だと思いました。「なのに私のことは好きじゃないんだね?私が魅力がなくて不細工だからなんだ」こんな自己恥辱感に一人で陥ってしんどいんです(あぁ本当に書くのがしんどい。とてもいかれた子みたい)。こんな風に考える私がとても嫌でした。

本当におかしいのが、新しいサークルに行ったのに誰も私に関心がなかったらおかしくなりそうです。私の価値の基準を異性において私が彼らを評価するのではなく評価を待ちます。もっと笑えるのが私が男性になんの異性的関心がなくても私を好きだったらいいということです。あぁ、自分自身がすごく嫌で嫌いです。

先生:反対に知らない女性しかいない場なのに自分の外見に対する話が出なかったら?

私:なんともないです。

先生:本当に大丈夫ですか?

私:違う!

先生:ほかの人だけほめて自分にはしなかったら?

私:あ、嫉妬します。嫉妬します。そうだ、女性にもそうです。だから会社の同僚に嫉妬したんです。

先生:それでもっと着飾ったりはしませんか?

私:そういうことはないです。先生こんな人はいないでしょう?

先生:多いですよ。

私:多いですか?こんな悩みを先生に話す人がいますか?私は今とても恥ずかしいです。

先生:そうみたいです。露骨にする方もいますし、回りくどく言っても結論的にその答えに到達する場合もありますし。

私:あぁ、私は直球で話しているんでしょう?

先生:はい。外見にだけ重点を置いている場合もあり、人々の関心に焦点を合わせる場合もあります。

私:そうです。私のコンプレックスは顔と魅力です。私に魅力がないと思います。

先生:魅力があるから関心の焦点になってきたのでしょう。しかしその場で少しずつ押されている感じを受けたとき不便だったのではありませんか?

私:なぜこうなのでしょうか?すごく抜け出したいです。

先生:もしかして「ヒステリー性性格障害」を聞いたことはありますか?

私:いいえ。これがヒステリー性性格障害なんですか?

先生:そんな傾向があります。どこに行こうと自分が主人公でなければならないのです。

私:そうそうそうそうこれです。

先生:こういう時普通二つの類型に分けられます。一つは自分の魅力をより表すためエロい服を着たり筋肉を育てる方式です。もう一つは自分が主人公にならなければ人々が自分を嫌いなのだと思い自責します。

私:私は後者ですね。

先生:はい。すでに認知したこと自体が本人に関心が多いという証拠であるとも言えます。普通はわかりません。

私:私はとても深く認識しています。そんなことに没頭するから小さな言葉も雷のように聞こえます。例えば私が執筆サークルのときコンタクトを外して眼鏡をかけました。しかし反応がいいんです。一人が「おい、眼鏡かけると可愛いんだけど?お前ずっと眼鏡かけて通いな」と言いました。それなら眼鏡をとったらよくないということじゃないですか。

先生:そうですか?話がそこまで行きますか?

私:極端ですか?とにかく、それが気分悪かったです。そして写真をみんなで撮ったんですが女の友達は私に写真写りがよくないというんです。なので男の子たちに「本当にこの子写真写り悪くない?」こう言ったのですが彼らが「いやそのまんまだけど」こういうんですよ。一人はむしろ写真写りいいと言って。なので気分が悪かったです。

先生:ご自身は違うと思いましたか?

私:はい。私はその写真が変だと思ったのに…、それで「あぁ、私はただ不細工なんでな」と思いました。

先生:そうやってまた不細工だということになるんですか?

私:私は不細工だということになります。極端なので。死にたい。

先生:しかしその部分をいつも隠しておいたみたいですね?

私:隠しておいたですって?

先生:自分が知っているからより隠そうとしたようですね?

先生:人々が私に本当に正直だというんですよ。でも私がじっくり考えてみました。「私が本当に正直なのか?」でも言えなくて隠す部分がこの部分なんです。だから今日この話をしたかったです。いつも覆って隠して、違うふりをします。

先生:認めることは簡単ではないでしょう。私が隠していたみたいだと話した理由は、診療序盤に書かれた500個の問題あるじゃないですか?性格的な傾向を見るテストだったんです。しかしこんな傾向はなかったので全く予想できませんでした。

私:何を予想できないんですか?

先生:外見に対する強迫と他人の評価に執着する傾向です。検査結果にも現れませんでした。普段お話されるときも感じることができませんでした。

私:それなら完全に隠していたんですね?

先生:はい(ハハハ)。人々が自分をきれいじゃないというのではないか不安な時があるじゃないですか。おっしゃったとおり表現するとしたら「きれいじゃないのは不細工だ」になるんです。

私:はい。私を好きじゃなかったら私はただ魅力がない人になってしまいます。

先生:何かずっと聞いたことがある感じがしませんか?ずっと感じてきたような気がしませんか?

私:何をですか?

先生:終わりなく二分法的な思考。

私:あ、極端なとこ。

先生:誰でも主人公になりたいでしょう。助演になりたいと思う人もいますが。しかし思考の形態がまるで主人公と端役のように感じられます。自分がここで退かれる瞬間…。

私:私はただの通行人1になってしまう?

先生:はい。忘れられて、誰も自分の存在を知らないだろう。

私:あぁとても極端なんだなぁ。私がなぜこんな風になったのでしょうか?(毎日ダカーポみたい。毎回質問して聞いて忘れる)

先生:さあ。一言で話すには複雑です。自分を見つめる視覚が狭すぎて自己卑下的だから、広くて多様にみることができず2つのうち1つを選択するほうがいっそ楽なのでしょう。

私:少し理解するのが難しいですが、これからは正直になります。今日来院記録にも書きます。実は彼氏の友達が私をそんなにきれいじゃないと言ったら、彼氏の豆のさやが脱がされるような怖さもあります。

先生:彼氏に魔法でもかけたんですか?

私:いいえ。もともと最初はさやがかぶっているからです。

先生:ご自身は?

私:私もかぶっていますよ。あ、そうね。その気持ちが他人によって変わることはないのに。

先生:演劇性人格障害は聞いたことありますか?(感情表現が誇張され周りの視線を集めようとする一貫した性格が特徴である人格障害

私:私それですか?

先生:いいえ。傾向はあるように見えますが、ぴたっと一致するわけではありません。ただ押し出されることを怖がっているようです。押し出されても一段、二段ずつ下がることもできるのに、まるで誰かが「おい、お前下りろ」といって引きずりおろす感じに受けとっています。実際よりより大きな恐怖が不安を誘発しているようです。一種の強迫観念でしょう。

私:私は自己客観化がうまいんですよ?私が不細工でないのはわかってます。でもきれいでもないでしょう。ただありふれていることはわかっているから自分自身がもっと嫌です。

先生:芸能人たちがそのようなことをよく言うじゃないですか。

私:誰がですか?

先生:チャン・ドンゴンのような人が「僕の顔は平凡だ」という妄言シリーズ?

私:そうです。いかれてる。

先生:自分自身はそう考えることもあるでしょう。今の言葉もある意味そんな妄言と似ているかもしれません。誰かが自分をとてもきれいだと思っているなら、今の発言が偉そうに見えることもあります。

私:抜け出したいのですがおうすればいいですか?

先生:強制的にできますか?

私:外見を評価する視線から抜け出したくておしゃれせずにいたこともあります。メイクもせず、服もおおきいものだけ着て。それが傷つかず気持ちも楽だからです。

先生:そうしたとき認めてもらったことはありませんか?

私:なかったと思いますが。

先生:ほかの人が今日はきれいだと言ったとか。

私:あ、そんなことがあったはあった。

先生:それなら一体どこまで下に行かなければならないでしょうか?

私:どうでしょう。前に男性より女性が好きな時がありました。その時はむしろ男性中心的だった視線から抜け出しました。女性が好きだから男性によく見せる必要がなく、男性が私を好きでなくても関係なかったんですよ。心的にも楽だったと思います。

先生:「不細工ではないけどきれいでもない」とお考えになった通り、「私はこっちにもいなくてあっちにもいない、分布図で見ると真ん中より少し上にいるかな?」程度に考えればいいじゃないですか。

私:それでいいだなんて?

先生:その状態で「私がこの程度で、人々の基準はみんな違うからこうともああとも見ることはできない」と考えられるじゃないですか。

私:先生、私はそんな練習をたくさんします。とてもよく知っているからです。でも昨日のように予測できない瞬間に彼氏の友達と会ったら、その考えが浮かびません。

先生:負担に思うのは当然でしょう。逆に自分が彼氏の自慢をたくさんしたら彼氏も負担に思うでしょう。でもしきりに期待値を充足させなければと考えるから…。

私:(頭をかきむしって)あぁまじでなんの期待値よ。誰が私に期待するの。本当にあきれます。

先生:抜け出さなければならない問題ではなく楽しむ問題のようです。その日の気分によってきれいにして出かけるときもあり、あえてそうしたくない日には「ただ勝手に評価しな」こんな気持ちで。

私:注目されて関心を持たれようとするのは?

先生:注目と関心に対する恐れが多いだけで、実際の傾向はそうではないようです。傾向がそうならさきほど申し上げた通り行動に出ているはずです。果敢な露出だとか派手なタトゥーです。

私:私はそういうのがないということでしょう?

先生:はい。ただ押し出されることに対する恐れがあるんです。そして「自分のこんな姿はみせてはならない、秘密にしなきゃ」とまで行く必要なないのに、とても否定的に飲み見ています。私たちが毎日きれいな服を着て出かけるわけじゃないじゃないですか。家の前までホームレスみたいに出て行ったりしたり。ある日はもっときれいに見えて、そうでない日もあります。ある程度変わりうる状況なのに「人々は私をどう見るだろうか、なぜ私はこんな考えをするのか?」こんな風にしなくてもいいということです。時々は失望することもあるでしょう。「私に関心がないのかな?変わったのかな?」考えることもあるでしょう。しかしそれが「私が嫌いなんだ、私は不細工なんだ」という意味ではないかもしれません。

私:極端な考えをあまりにも長くして生きてきたから忘れてしまいます。方向を変えて中間世界を作ってみろとおっしゃったじゃないですか。こんな場合もそのように考えてみろというのですか?

先生:いろいろ方法はあるでしょう。各自目線も違うでしょうし。

私:私は私と反対にできた顔が好きなんですよ?ただの趣向なのか、男性の視線から見ているのかわかりません。

先生:自分が持っていない面だからでしょう。

私:私は自分の顔を愛したいのに、あまりにも違う顔が好きだから自分自身がきれいに見えるわけがないじゃないですか。ある時は「私きれいに見えるね?」と思う時もありますが、外見の称賛を聞くと大部分は「違うけど?」と思います。

先生:おっしゃったとおり彼女たちも美人で、自分が好きではない顔も美人でしょう。

私:これも極端ですね。

先生:自分の趣向だと言えばいいでしょう。それなのにこのように話を持ち出したじゃないですか。持ち出すことだけでもかなり勇気を出されて、少し楽になるかもしれません。

私:今とてもすっきりしています。

先生:実際恐怖は何かに対して「自分だけが知っているとき」より大きくなるんです。一人で苦痛を受けるときより今のように取り出すのがはるかにいい可能性があります。彼氏の友達も会いたくないなら合わなくてもいいです。

私:あったとき聞く評価が怖いです。きれいじゃないというのがとても嫌なんです。

先生:一度失望したら次が楽になるかもしれませんよ?

私:そうかもしれませんね。

先生:「わぁきれいだ!」といったらずっときれいに見せなくてはならないのに?

私:あ…、はい。こんな苦痛を受ける女性が整形をたくさんするんですか?

先生:はい。演劇性人格障害を持つ人の中に身体歪曲障害という疾患を持つ人がいます。自分にずっと問題があると思い続けるんです。例えば鏡に映った自分の姿が崩れかけて見えるんです。

私:私も少しそうみたいです!

先生:ハハ、これを今聞いたからそのようにお考えになるみたいです。一種の妄想です。

私:あ、そのようにはなりたくないですね。