なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 【最後に】

大丈夫、

陰がない人は

光を理解することができない。

 

私は私の手の中に入ってきたら評価切り下げする傾向がある。難しい何かをやり遂げたときもきれいな服を着ても私がやり切って私が来たらたちまち力を失った。大切だったり愛らしくなかった。問題はそれが人にも適用されるということだ。相手が私を私を愛すれば愛するほど私は相手が退屈になった。退屈になるというより、これ以上輝いてみえない。

 やはり問題は自尊心。私が私をとても低く見つめるせいで他人の目で満足を得るのだという。しかしそれは私自身が私に感じる満足ではないので限界を感じるしかなくすぐうっとうしくなる。しかしまたほかの人を探して、結局誰かが私を好きだということ自体が私に満足を与えられないのだ。私が好きな人が私を好きでなくても絶望、誰かが私を深く愛してくれても絶望。あれやこれやすべて他人の目で私を見つめることだ。結局私が私にかじりつく。

 私が相手に苛酷に接することも低い自尊心のせいである。私が私を愛してないのに、それにもかかわらず私を愛してくれる相手を理解することができずやたらと強度の高い実験をするのだと。これでも私が好き?これでも?これでも?相手が受け入れても理解できなくなり相手が諦めて去って行ってもやはり私をすべて愛してくれる人はいないと思い苦しくなり慰安する。

 あいつの自尊心、自尊心、自尊心。私はこれ以上ひねくれた関係を結びたくなく、現状に満足できず過去に縛られたり新しい関係に期待することも面倒くさい。しかしまたあいつの自尊心のせいなら私はどの方向に向かってよくなっていったらいいのかわからない。もう私が相手を愛しているのか愛していないのか区別することができない境地まで来た。こんなに道がわからないままで無作為に迷って過ごすことができず、とてもつらく苦しいと、確信もなくわからずすべてがあいまいな自分がうっとうしい。

 先生はどんな方法も回答も提示できず申し訳ないといった。しかしもし真っ暗な井戸の中に落ちてしまったとしたら、壁について一周回ってこそそれが井戸だということがわかるように、失敗に手をあててみると明らかに反復される失敗を減らすことができるといった。積もった失敗が強固な私の中心を作ってくれることができると、よくやっていると、コインの裏側を見ることができる人なのに今はコインをとても重く感じているだけだといった。

 私が望むこと?私は愛し愛されたい。疑うことなく気軽に。それだけだ。方法がわからないから苦しいだけだ。最後の診療記録を終え結言を書けないまましばらく迷った。私がこれほどよくなったということを見せてあげたり、何かすごい締めくくりをしたかったようだ。1冊の本は必ずそうでなければならないと考えた。

 しかし話を終えた今も変わらず憂鬱と幸福を反復する私の姿が嫌で意味を探すのが辛かった。そんな状態で病院に行ってきて、いつのまにか2018年になった。

 細密にみると、よくなった部分も多い。憂鬱も本当によくなって人に対する不安も減った。しかしその間にまた違う問題が生まれて、細かい問題を執拗に突っ込むうちに終着駅は自尊心だった。相変わらず私を愛することを知らない人だったからだ。

 そうするうちに、光と闇は一心同体だということをまた思い出した。幸福と不幸の共存のように人生ん曲線は流動的だ。そして私が諦めない以上ずっと続いていき笑ったり泣いたりしうる。

 結局この本は質問でも答えでもない願いとして終わる。私は愛し愛されたい。私をつらくしない方法を見つけたい。嫌より好きという単語が多い人生を送りたい。失敗を積んでより良い方向に目を向けたい。感情の波動を人生のリズムとして考え楽しみたい。巨大な暗闇の中を歩いてまた歩いたら偶然発見した一筋の光に長くとどまっていれる人になりたいと願う。いつかは。