なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 4週目

特別になりたい気持ちが全く特別ではなくて

 

先生:いかがお過ごしでしたか?

私:元気に過ごしてました。

先生:どんな部分でですか?

私:いろんなことがありました。友達ができたんですよ?お互いものすごく違っているのに、ものすごく似ているんです。性格は違うのになんか考えることが似てると言えばいいのかな?なのでめっちゃ仲良くなりました。でもこの関係に対する不安がひどいです。私が実は友達があまりいないんですよ。誰かと安易に仲良くなりたいとも思いませんし。実は大学の最後の学期の時仲が良かった友達がいました。その友達は違う科だったんですが一緒に小説創作授業を聞いてたんですね?小説をものすごく上手に書くんですよ。なので私が先に近づいて、急速に仲良くなって学期の間中くっついて回りました。しかし結果的にはその友達と連絡を取らなくなりました。ものすごく似ていると思っても、時間がたつとお互いに異なる点が見えるじゃないですか。その友達は私が不安で小心者だということを知らなかったようです。私の性格を理解することができないんですよ。会うのを続けていくうちに段々何を話したらわからなくて、しょげて、自尊心がもっと低くなり始めました。学期が終わった後その友達と小説スタディーを一緒にやりました。その時私の不満が頂点を極めて、スタディーを一方的に出ませんでした。そうやって二度と連絡を取らなくなりました。私はそれが傷だったことを知らなかったですが、今回新しい友達と仲良くなったから突然それを思い出して不安になるんです。「あとでまたあの友達のように遠ざかるの?」捨てられるかと思って怖いです。「私に対して知っていけば大したことないと思うのでは?」と思い怖いんです。

先生:しかし今できることは特にないじゃないですか?ただ現在に忠実になればいいのではないですか?実際捨てられるかもという不安は自分が何かを所有する瞬間から起こるものじゃないですか。

私:所有ではないんですが…、私が誰かを好きになると相手が私を甘く見るようです。

先生:その言葉が正しいならすでに騙されやすい人になりそうですね?普通より好きな方が弱者じゃないですか。

私:そうです。その友達は他人にあまり関心がなく、私はそんな人に惹かれます。しかしその友達が会社で親しい人がいないのに私と仲良くなったという事実が感激なんです。感激すると同時に卑屈だとも思いました。

先生:まるで自分が選ばれたことのようにですか?

私:はいそうです。笑えるでしょう。

先生:愛情を少し分散させなければならないですね。段々弱者の道に行くようになるからです。そしてたくさん犠牲をしてみると対価を期待せざるを得なくなります。自分がとてもよくしてあげたから、それくらいの補償を受けられないという感じのために相手によりのめりこむこともあります。

私:しかし私は考えることばかり一生懸命やります。行動には移さないで。何もしないで一人で期待して一人で失望します。

先生:人がもともとそんなものでしょう。「私を選んだ人を私が裏切ることはできない」という考えのためにより縛られることもあります。近づきすぎることを警戒する気持ち、もしくは近づいた後には捨てられてなならないという不安の中で生きるよりは「私が本当にこの人と合っているのか、どんな面が気に入ってどんな面が気に入らないのか?」のようなことを考えてみることもできるじゃないですか。

私:彼女は特別なのに私はとても平凡で典型的な人間だと思います。それが苦しいです。

先生:それなら相手は平凡で典型的な人を見つけ出したんですね?会社で誰とも仲良くない人が特別でない人を選んだんですね?

私:そういうことではないですが…、そして私は意識的に正直になろうとします。正直だった時多くのことがうまくいったようで、愛情があるほど正直な姿を見せてあげたいです。

先生:正直な姿を見せたときの恐れはありませんか?

私:あります。だから前もって剝くんでしょう。

先生:それはいいですね。

私:よかった。なのでその友達にも話しました。実は私はとてもありふれていて陳腐な人間なのに、君がこんな姿を知ったら失望すると思うと。だからその友達も自分自身を平凡だと思うんです。私は文化創造科を出て出版社に勤めているから芸術家にたくさん会うじゃないですか。彼らと温度が合いません。私があまりにも一般的に感じられるんです。しかし芸術と関係ない人と会っても私は離島にいるようです。これもあれもない所有物みたいなものでしょう。しかしその友達もそうだというんです。「芸術作品も好き、だけど無限挑戦もめっちゃ面白い」芸術家でもなく大衆でもない自分自身が半人半獣のようだと言ってて不思議でした。実際君と離れるのが怖いと言ったから、その友達が各自の仕事があるから常に連絡することはできないけど互いに対する気持ちを想い続ければいいと思うと言いました。

先生:今このままがいいですね。あまりに未来に対して考えないでください。自分の不安が相手には負担になることもあります。

私:最後の学期のあの友達もですか?

先生:同じだと言えるでしょう。愛情が生まれて、相手を優位で絶対的な線のように見つめながら自分自身を卑下することもあるじゃないですか。相手と自分の間の物理的距離は近づいても心理的距離は遠ざかるのでしょう。それが劣等感として表れ、「あの人と私は遠ざかるだろう」という考えに確認をし始めます。直接聞いたり、間接的な自分だけの方法でです。相手が不便に感じたこともあるでしょう。

私:相手が感じたですって?

先生:そうだったかもしれません。確認に対する欲求はわかりましたが、その欲求を充足する方式が子供みたいと言えばいいでしょうか?

私:なぜでしょうか?

先生:即時の満足のためでしょう。しかしその瞬間だけなんです。そんな方法よりは好きな相手に会うこと自体を大切に思えば満足を得ることもできます。共にする時間に意味を付与し始めるなら、単純にどんな関係かが大きな意味があるでしょうか?

私:どうでしょう。私をとても平凡でつまらなく感じるのはどうやったら直せるでしょうか?

先生:直さなければならない問題でしょうか?

私:自分を愛したいです。

先生:直さなければならない問題ではないと思います。自分のどんな姿を見るかによって異なるでしょう。芸術家に会うときは芸術家は持っているけど自分は持つことができない部分を見て、他の人と会う時も同じじゃないですか。その視線を変えたらどうでしょう?「この人たちは芸術家だからとても敏感で不便そうだ」と考えることもできるし、他の人たちと会ったときは「あぁ話が通じない」と考えることもできるじゃないですか。同じ状況をどのように見るかによって結果が変わります。今は基準を自分の考えるままにつけながら苦しがっています。

私:私をとても苦しめているようです。

先生:平凡だという言葉はかえって自分を保護する方式であるともいえます。劣っているとは言わないじゃないですか。

私:そうですね。その友達と会って考えがより強くなったみたいです。彼女が典型的なことをとても嫌うんです。私もありふれたものは嫌ったりします。

先生:しかし自分がありふれていると考えることと相手がありふれていると考えることは同じでしょうか?共通にせせこましいと感じる部分はあるでしょうが、各自差があるでしょう。自分自身を特別だとかそうではないと分離する二分法的思考を止めなければなりません。「いい、悪い」だけの白黒論理ではありません。

私:そうなんですね。私は一人で遊ぶのが好きです。ただ前提があります。私を愛する人がいなければなりません。私の安否を聞く人がいてこそ一人で遊ぶことができます。私が6か月間一人だった時、ある日の朝目を覚ましても誰も私を探す人がいなくて愛してくれる人がいないということを悟るのはとてもつらかったです。今もそう思います。

先生:関心を得るために自分を不安にすると、他の人が関心を持つでしょう。その後自分が楽になってからは人々も安心するでしょうしかしこうなるとまた挫折を感じます。意図したことではないですが、「私が幸せになると人々の関心から遠ざかるんだな」という恐れができうるでしょう。結局、自分は幸せになったらだめな人になるのでしょう。今は一時的な関心に不安がよくなるかもしれなくても、長い目で見るとこれをすべて腐らせる不良食品であることもあります。

私:新しく付き合った友達も私にちょっと一人になってみなよというんですよ。人に頼りすぎないで。自分は一人でみたら誰かが私を好きでなくても大丈夫な時期が来たって。本当に一人でいることが助けになるでしょうか?

先生:どうしようもないなら。しかしあえてそうする必要があるでしょうか?今は空虚感や恐怖心が混ざってしまって自らを防御するため助けを求めているようです。しかし誰かに頼って助けを求めれば、その場では満足してもあとで一人で立てなくなるかもしれません。そうすると新しい関心ごとと楽しみにも関心を持てなくなります。

私:あぁ…、前回20歳の私が今の私を見たらどう感じるか考えてみろと言ったじゃないですか。それがすごくよかったんです。だから最近考えたことがあるんですが、以前は規則と規律に縛られすぎていました。実際私は群れをなして動くことが好きではありません。小学校2年生の時ウンギョンという子が級長で、代表の感じでした。群れを主導して。しかし彼女がユンジンという子を自分の家の玄関の前まで迎えに来させるんです。だから私が「なんでユンジンをあんたの家の前まで迎えに来させるの?」と聞くとずうずうしく「ユンジンが好き」こう言うんですよ。なのでユンジンに「あんたはいいの?」と聞くと「うん」そういったんですよ?すぐその次の日から私はいじめられました。ウンギョンに声をかけたら私の言葉を完全に無視して透明人間のように扱って隣の友達にこそこそ話をするんです。それ以降「嫌われる行動をするのはやめよう、ただ群れの中に属していよう」と考えて不断に努力しました。しかしその気持ちが高校生の時に変わりました。それがだんだんひどくなって大学の時はほぼ一人で通いました。会社でもそうです。しかしそれが幸せなんです。それが満足で褒めてあげたかったです。私が自ら認知してやりたいままにやっていること?

先生:やりたいままにやるのはいいですね。もちろん一人で通うことをやたら褒めるか否かの問題ではないようです。選択の問題ですから。しかしそうやって「幸せだった」という記憶が残ったなら、その部分が楽なんでしょう。自分を楽にする自分だけの方法を探し続けるのが重要です。

私:はい。わかりました。