なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 5週目

あいつの自尊心

 

私はおどおどしている。おどおどしているという表現がぴったりだ。心はすでにおどおどしているのに、頭はおどおどするのが嫌で険しい動物のように言い放つ。互いに異なる感情が一つの体から抜け出すと存在がおかしくなる。そうやって顔中と耳の先まで赤くなった状態で相手と向き合った後の癖は鏡を見ることだ。一人だけの戦争を行った直後見つめる顔はボロボロだ。赤く焦点を失った目、たくさん乱れた前髪、まったくどんな考えをして生きているのかわからない濃く曇った表情。不透明な存在のようだ。床まで墜落する感情を感じ、一生懸命握ってきた精神の均衡が改めて崩れる。

 

先生:いかがお過ごしでしたか?

私:元気だったり木曜日と金曜日に少し良くなくて、またよくなりました。

先生:少しよくなかったというのは、どんなことがありましたか?

私:前回友達の話をしたじゃないですか。私が不安に見えるのが相手には負担になることもあるとおっしゃって。これを頭ではわかっていても実際にはうまくいかないです。酒を飲むと本心が出る時があるじゃないですか。木曜日にその友達とビールを飲みながら大学の最後の学期の時に仲良かった友達の話をしました。そうしながら私の不安をまた話したんです。前にもした話なのに…、、それをとても後悔しました。

先生:友達の反応は?

私:ただ「そうなんだ」こんな反応?ずっと同じ話をしたから。それのせいで明け方にものすごく憂鬱で後悔したけど、金曜日にはまたすぐよくなりました。私が誰かを好きになると、その相手が私を軽く見るようだと言ったじゃないですか。そして私は姉に頼って姉の世話を受けた立場だったんです。いつも友人関係や恋人関係で私が相手を守ったり助けるよりは受け取る側でした。しかしこの友達には初めて「なんでもしてあげたい」と思いました。

先生:本人の姿が見えたんですかね?

私:そうではありません。少し違います。彼女は自分の感情を表すことに慣れていません。私は自己表現がうまいと思うんですよ?私の感じ、私の感情を言葉でうまく整理して伝達する方ですが、彼女はできません。自分でもできないと言うんですよ。感情を抑制するスタイルなので心配しました。これは私が本で見たことなんですが、「感情にも通路があって否定的な感情だからと言ってやたらと閉じ込めて抑制すると肯定的な感情まで出てこれなくなる、感情の通路が詰まる」という話がありました。私はこの文にとても共感したんですよ?なので友達にも話してあげました。しかしそれ以降友達が別に重要ではない話でもカカオトークを数十個ずつ送ってきて少し面倒くさかったです。

先生:面倒くさかったんですか?

私:はい。

先生:先週まではそうではなかったじゃないですか。

私:はい。「私がよくしてあげてるからもう甘く見たのか?」という考えが支配的でした。なので木曜日により辛かったようです。金曜日になぜよくなったかというと、私が歪曲された考えをよくするじゃないですか。なので「また考えてみよう!」と振り返ってみるとその友達はもともとそんな性格なんです。「もともと優しいスタイルではなく私が楽で親しくなったからそうしたんだ、私が甘く見えてそうしたんじゃない」と考えました。二つ目には「この子が私を甘く見たらどうで、軽視したからといってどうなの?そういうこともあるでしょ」と考えました。

先生:大学の頃の友達の話をしたから辛かったんじゃないですか?そういう風には考えませんでしたか?

私:木曜日にはその話をしたことをとても後悔して、私はなぜこんな風に人を飽きさせるのか自責しました。しかし次の日その友達が何事もなかったかのようで安心しました。万が一私におろそかに接したなら「あの話のせいだ」と信じていたと思います。

先生:中間がないですね。

私:いつも極端です。100%極端。

先生:おろそかにするのではと心配したのに自らおろそかにしていますね?

私:はい。こんな二重的な感情がおかしくて申し上げました。そして前回話した「選ばれた」というのが私の責任感を誘発しうるとおっしゃったじゃないですか。その時は認めませんでしたが合っていると思います。「あの子が私を選択したから、私に心を開いてくれたから、私はもっとよくしてあげなきゃ」と思いました。

先生:階級社会ではない以上誰が誰を選ぶというような権利はありません。ただ相互作用です。恋愛をするときも自分が優位に立ったり不利になったりこんな風に行ったり来たりするじゃないですか?

私:はい。それが嫌だから最終的に私を最も好んでくれる人と付き合って。

先生:友達に隙が見えるから若干の優越な感情ができたんでしょう。逆に友達の態度が良くなかったとしてもほかの理由があると考えることもできるのに、極端に端と端だけ考えていますね。いくらかほかの方向にも考えられます。ある意味二人とも共存できることもあるのに、すべてのことを極端に順位をつけているようです。そうしてみるとこの人の態度によって自分の態度も変わるようになります。自分が受けたほどだけ与えるように。それがお互いを苦しめるんです。

私:あぁ、そうだ。「私は本気なのにあの子はただ寂しいから私に頼っているのではないか?私を甘く見ているのではないか?」と思いました。そう考えるから「あぁそれなら嫌だ!」という感情がすぐに浮かんで。

先生:その不安が相手をより不安にすることもあります。相手も自分と同じように感じることもあるんですよ。無意識に。まるで磁石のようでもあります。近くに行くとより遠ざかり、遠ざかろうとすると近づく。ただその関係自体がこれ以上無理をしなければいいでしょう。逆に考えると実際面倒くさいと言いながらも関心を楽しんだともいえます。

私:そうです。面倒くさがりながら楽しみます。変態じゃないのまじで?

先生:何が変態ですかまた。誰でもみんなそうでしょう。自尊心を守るための最小限の手段程度とだけ考えればいいと思います。

私:大丈夫ですか?

先生:はい。

私:私はとても小さな家で暮らしてたんですよ?最近はアパートのベランダだけ見ても坪数が大体わかるじゃないですか。私はそれが恥ずかしかったです。しかし恥ずかしいと思う自分がもっと恥ずかしいんです。なので成人してからは彼氏と友達にもっと堂々としたふりをせずにしてたんですよ?しかし姉と妹は嘘をつくんです。なので私が「なんで嘘をつくの?」というと「なんでってここもそこも似てるじゃん?わざわざ教える必要ないじゃん」と別に取るに足らないことのように言うんです。私は自責の念が浮かびます。

先生:そうすることもあるでしょう。自分が楽ならば。

私:あぁ…。

先生:とても強迫的に理想化された物差しを持ち出し続けて、その基準に合わせようとするのでしょう。自分に罰を与える方法はいろいろな方法があります。

私:私よくなってますか?専門家の立場からは。

先生:大丈夫ですが?

私:私はよくなっていると感じます。会社でも楽です。

先生:ほかのことより面倒くさい友達ができたじゃないですか。友達の反応が面倒くさいといったじゃないですか。

私:わたしは頻繁に面倒くさくなります。それが誰であろうと。ただ「この子が私を嫌ったらどうなるの、面倒くさかったらどうなるの」みたいな気持ちで関係を結ぶのがいいですか?

先生:果たしてある行動一つ一つが「私が嫌いで」、「私が好きで」を代表するでしょうか?友達の行動も友達が嫌だというよりもその友達の行動が嫌だったということじゃないですか。今は相手のある行動一つ一つを「拒絶」として解析して受け入れています。

私:いつもそうです。反応一つにも「もう私が嫌なんだな」と思うんです。

先生:十分にほかの理由を考えられるのに最も極端な考えをするのでしょう。その考えの基準が相手にも適用されて。自分の考えが自分を苦しめているんです。

私:はい。頻繁に極端な考えに巻き込まれるから少し健全な関係を結びたいと思いました。

先生:誰に会おうと絶対的な線はないんです。不満があることもあります。いつも部分と全体を区分するとよいでしょう。一つが気に入ったからとこの人全体がすべて気に入って、一つが気に入らないからといって全体が嫌いになるのではないじゃないですか。少し違う風に考える試みをするとよいでしょう。