なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【とても暗い時期】

 いつも戦争に見舞われる。戦力は1対数十、もしくは数百。ぽつんとした一人が数えられない多くの敵と戦うことは最初から不可能だ。相手が多くなるほど戦闘力は急減し、すぐに意志を喪失する。いや。最初から戦闘力などというものは存在しない。勝つことはできず、勝つ自信さえない。一生は怠惰な主人のカバンのように整理されていない物でいっぱいになっている。いつ古ごみが出てくるかわからず、誰かがカバンを覗き見るのではないかと怖くなる。古いカバンともよく似ている。なめらかな底はなんでもぽいぽい投げられ、投げられるほど擦れて傷ができてほつれるが誰も気づかない。角度が違って投げられると誰かに発覚されるが、それだけだ。カバンを変える所与にならない以上底を見られないよう注意ぶかくそして不便そうに体を動かす。この文章を書いていい比喩だとくすくす笑ったかと思えば、いやカバンという比喩も間違っている、気づいた

 バスに乗っていくとき誰かの前に立つと書いていた文を止める。前に立った人の目線が私の携帯に止まる。書いている文章を見られるのではと怖くなる。秘密でいっぱいに満たされた日記のように、暗闇が込められた文章を彼が見るのではないかと怖くなる。精神は一面に覆われた膜で包まれ、不透明な膜の中は誰も入り込むことは出来ない。膜を通してろ過される思考は本心とは異なり本心の残り物はそのまま精神に積もって腐る。なので思考はいつもすっきりと掃除されることは出来ず、残り物でいっぱいになった本心の中でいい考えが一向にろ過されない。ぬかるみをろ過しても黄色い水のように私からろ過してろ過しだした思考も濃く不透明な暗闇だ。だから文字を思考を比喩をでっちあげて隠す。そのように精製され包装された思考は一見するとそれっぽく見えるが、結局大したことない思考であるだけだ。

 明るく正直な人々の天真爛漫さに惚れて肯定的な人々の文章を見て熱狂するが本質的にその中に便乗できないという不安に座り込む。本当の暗闇を受け入れることができず、明るい世界に体を投げ出すこともできない。実際多くの人に大切にされたいと思いながらも、あふれるほど愛されたりながらも、他人にとても関心がありながらも違うふりをする。噓は噓を作りその嘘はまた嘘をつくり、もう嘘が自分なのか自分が嘘なのか、これは本心なのかろ過された思考なのか区分することができなくなる。なんでもなくありたい精神とものすごくなにかの気持ちは互いに衝突して精神の崩壊させ、ひねくれた均衡は壊れた表情を作り出す。壊れた表情はひねくれた行動を作り出す。ひどくひねくれた精神と身体を引き締めるため正しさを詰め込みまた積もらせ、固く積むことがができない城はあちこちねじれてまた崩壊して。

 結局自由を得ることはできないという結末を知りながらも意味なく道に沿って無作為に歩く。終わりは省略されている。新しい道を作ってみようと道ではないところを歩くがすべて深く荒れた砂利道はどれだけ歩いて掘っても道にならない。そのまま足に鞭打つだけだ。