なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【私の犬、私のすべて】

 ブギは3才。スジは9才。ジュディンは15才。幼いころはジュディンをロケットジュディンイと呼んだ。エレベーターが開くと同時にスプリングのように飛び出す姿がロケットのようだった。それほど速く活発だった。

 玄関のドアキーを押してドアを開けると当然のように靴の間に座って私たちを迎えた。抱きしめてくれるまでたって私の膝をコンコン蹴った。何を食べているのかどれほどお化けのように知っているのか、サツマイモを取り出したりすごく静かにお菓子を開けてもいつの間にか走ってきた。チキンを食べるときも、肉を食べるときも。

 心臓の音は規則的で目は輝いていた。鼻はしっとりして足の裏とおなかはピンク色がまだ消えず赤ちゃんのにおいがした。誰かが教えたわけでもないのに必ずトイレもしくはベランダで用を足した。おしっこがしたくなったらベランダの前に立って開けてほしいとドアを掻いた。時々吠えたりもした。嫉妬もすごくした。

 この姿は何十年間も私たちにはとても当たり前な風景だったが、とてもゆっくり少しずつ減ってきてもう見ることはできなくなった。首輪をしなくても私の歩幅よりおそ遅いジュディン、耳が聞こえず玄関を開けても出てこれないジュディン、部屋で寝ているとき私が近づいて「ただいま~」というとやっとびっくりして起き上がるジュディン、ミルクも飲まず肉も時々拒否するジュディン、何を食べていても大きく反応しないジュディン、じっとしていても聞こえる心臓の音と不規則な拍動、青い目と乾いた鼻、黒い足の裏とシミができて黒くなったおなか。これ以上おしっこがしたいとベランダを掻くこともない。吠えるのみたのもはるか昔だ。ただ、とてもたくさん寝る。ずっと寝ている。あまりにも寝ていて怖いくらい…。白く生えたひげを見るたびにどっと怖くなる。老犬という事実がこれほど自明の理なのに受け入れたくないせいだろう。

 生気にあふれたスジとブギを見ると以前のジュディンが浮かび胸が痛い。ジュディンの時間が私とは異なりあまりにも早いということを実感した。私が何かを食べていると素早く私の足元にきている子たちを見ながら小さくささやいても耳をぴんとさせるスジと速く走るブギから。

 一つの生命の生涯をすべて受け入れるには私はとても幼い。始まりと過程と終わりは至難で重さはとても重い。一瞬の幸せを楽しむには私の皿は小さく否定的だ。今3匹の犬と寝そべるこの時間が耐えられないほど大切で幸せだがそれほど恐ろしく漠然でもある。

 弱いという単語を繰り返し言ってみる。弱くなるのに弱いものが怖く嫌で恐ろしい私の姿を思い浮かべる。そうしながらも責任を取りたいという本心は変わることはない。みな送りたくない。