なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 1週目

ただちょっと憂鬱で

 

幻聴が聞こえて、幻想を見て、自害をすることだけが病気ではない。軽い風邪が体を辛くするように、軽い憂鬱も私たちの精神を辛くする。

 私は幼い時から内向的で臆病な人だった。記憶はぼんやりしているが日記を調べてみるとポジティブな方ではなく、憂鬱な感情をしばしば感じていたようだ。高校生のころから本格的に憂鬱がひどくなったが、そのときは勉強もせず、大学も行けず、前方がふさがっていたため当然憂鬱なのだと考えた。しかし変わりたかった部分(ダイエット、大学、恋愛、友達)がすべて解決した後も同じように憂鬱だった。いつもそうだったわけではなく行ったり来たりした。ある日は鬱屈して、ある日は幸せに眠った。ストレスを受けると顔に出て、憂鬱な時は泣いた。私はもともとこのように憂鬱な人なのだとばかり考え少しずつ暗くなっていった。

 人に対する恐怖と不安が大きく、特に慣れない状況でひどい不安を感じたがそうでないふりの演技も上手かった。なので大丈夫だと思って自分をもっと痛めつけた。そうするうちにこれ以上耐えるのが辛くなりカウンセリングを受けることを決心した。本当に緊張して怖かったが期待をもって診療室に入っていった。

 

先生:どうされましたか?

私:ただなんて言うか、少し憂鬱で。詳しく話さなければなりませんか?

先生:そうしてもらえると嬉しいです。

私:(携帯のメモを開いて書いておいたことを話した)深刻な他人との比較、そこで起こる自虐、そして自尊心が低いみたいです。

先生:要因が何か考えたことはありますか?

私:自尊心が低いのは家庭環境から始まったようです。幼いころから母はいつも「うちは貧乏だ、貧乏だ、お金がない」を口にしてきたんです。5人家族が暮らすには家の坪数が小さかったのに(18坪)、私たちのアパートの名前と全く同じ名前のほかのアパートが町内にありました。そのアパートは坪数がとても広かったんですが、ある日広いアパートと狭いアパートのうちどっちに住んでいるのかという友達のお母さんの質問に戸惑って以降家を教えるのが恥ずかしくて嫌になりました。

先生:それ以外に記憶に残っていることはありませんか?

私:数えきれないくらいあります。言葉でいうと陳腐ですが父が母を殴りました。言葉だけだと夫婦喧嘩ですがただの暴力でした。幼い頃を考えると母と私たちを殴って家の中を壊した後夜明けに家を出て行ってしまった父、泣きながら眠ると朝が来てめちゃくちゃな家をあとにしたまま学校に行った私たちの姿が浮かびます。

先生:どんな気分でしたか。

私:なんか悲惨?悲しみ?私たち家族だけが知らなければならない秘密が積もっていく気分だったようです。隠さなければならないことだと考えました。姉は私に、私は妹に口止めをしたりもしました。そして自尊心が低くなったのは家庭史もありますが姉との関係が大きかったと考えます。

先生:お姉さんとの関係ですか?

私:はい。姉の愛はいつも条件付きでした。私が勉強をしなかったり太ったり、何かを一生懸命やって誠実に生きていなければ私を貶していじめて侮辱したりしました。年の差が大きくて姉の言葉は無条件的に従わなければなりませんでした。経済的な部分も姉にとても縛られていました。姉が服や靴、かばんなどを主に買ってくれたんですよ。でもそれを弱点とみなしたりもしました。姉にかみついたり話を聞かなかったりしたら買ってくれたものをすべて回収していきます。

先生:抜け出したくはなかったですか?

私:抜け出したかったです。間違った関係のようだったんです。姉はとても矛盾していました。私はよくてあなたはだめ、こんな感じ?自分は外泊してもよくてあなたはだめ。私はあなたの服を着てもよくてあなたはだめ。こんなの。でも完全に愛憎だったのが、姉がとても嫌いでも姉が私に怒りながら関心をなくしたらとても怖かったです。

先生:そんな関係から抜け出そうと努力はしてみましたか?

私:うーん、私が成人してアルバイトを始めながら、いったん経済的な部分から独立しようと約束しました。アルバイトを週のうち週末いつもやりながら経済的に独立しました。

先生:精神的には?

私:それは本当に難しかったです。姉は私でなければ彼氏と遊ぶことだけ好みました。自分の言うことをよく聞いて自分の性格をよく知っていて合わせてくれるから当然楽でしょう。ある日姉が私と遊んでいて「ほかの人と遊ぶのはつまらない、あなたと遊ぶのが一番楽しくて楽」と言ったときあきれて勇気を出して初めて言いました。私は姉が不便だと、楽じゃないと。

先生:お姉さんの反応はどうでしたか?

私:本当に戸惑って衝撃を受けていました。あとで聞いてみたら何日間か毎晩泣いたそうです。今もその話が出ると目頭を赤くしたりもします。

先生:お姉さんのそんな姿を見てどうでしたか?

私:なんか胸が痛んだりもしましたが、すっきりしました。自由になった気分でした。少しは。

先生:お姉さんとの愛着関係から抜け出したあとも自尊心が回復することはなかったですか?

 私:時々自信がつくときもありましたが、こんあ性向と憂鬱はそのままだったようです。姉に依存していたのが恋人に移っていった感じ?

先生:恋愛はどんなふうにする方ですか?気に入った相手に先に近づくとかする積極性はありますか?

私:いいえ全く。私が誰かを好きだとその相手が私を甘く見ると思って好きなことを表に出せません。告白したり誘うことは考えたこともありませんし。だからいつも受動的な恋愛をするほうです。誰かが私を好きだとしたら会ってみながらその相手に対して知っていって好感が持てたら恋人になるパターン?

先生:恋愛をしないときもありますか?

私:ほとんどありません。誰かと付き合ったら長く続くほうで、恋人にとても頼るタイプです。恋人も私にとても気を配ってくれて。でも恋人が私を愛してくれるのを受け止めても、なにかもどかしさがあります。私は実際依存したくないんですよ。少し独立的で自立心があって一人でも生きていきたいのにそれができないと思います。

先生:友達との関係はどうですか?

私:幼いころは友人関係を非常に重要視していました。その年の同年代と変わらなかったです。でも小学校の頃一度、中学校の頃一度いじめにあって高校の時まで群れから落とされること、友人関係に対する恐怖が大きくなったようです。でもそれが自然に恋愛に移って、友達や友情のようなものには大きな期待や関心を持たなくなりました。

先生:そうなんですね。されている仕事は満足していますか?

私:はい。出版社で広報マーケティングの仕事をしていますが、今は会社のSNSチャンネルを運用しているんです。コンテンツを作ってアップロードして露出させるなど。面白くて適性によく会っているようです。

先生:いい結果物が出る時もありますか?

私:はい。あります。なのでもっと一生懸命やるときもあって何か結果を出さなければと思って圧迫感を感じる時もあって。

先生:そうなんですね。詳しく話してくれてありがとうございます。いろいろ検査をしてみなければ正確にはわかりませんが、依存傾向が強く見られますね。感情の両端は繋がっているので依存性向が強いほど依存したくないのでしょう。例えば恋人に依存するとき安定感を感じるけど不満が積もって、恋人から抜け出したら自立性を獲得するけど不安と寂しさが積もります。ある意味仕事に依存しているのかもわかりません。成果を出すとき私の価値を認めて安心できるから依存しますが、その満足感もまた長く続かないので問題があります。これは回し車の中を走るのと同じです。憂鬱から抜け出そうと努力するけど失敗して、また努力して失敗する一連の過程を通して主な感情そのものが憂鬱になったのでしょう。

私:そうなんですね。(この言葉に慰められて明確になった気分になった)。

先生:逸脱が必要です。憂鬱と挫折の回し車から抜け出そうとするなら自分が考えもしなかったことに挑戦してみるのがいいです。

私:どんなことからやらなければならないかわかりません。

先生:今から探してみないと。小さなことから。

私:そしてSNSにはったりの人生をあげてしまいます。幸せなふりをするわけではないのですが、本や風景、文のような趣向を表しながら特別にみられたくてします。「私を知ってみるとこんなに奥が深くて大丈夫な人だ」ということを見せたいかのように。そして私の基準で人を判断して評価します。私が何様であえて人を評価するのでしょうか。とても変です。

先生:おっしゃったことを聞くとまるでロボットになりたい人のようです。ある絶対的な基準の人になりたいかのように。

私:そうです。不可能なのに。

先生:今週には今日お渡しする検査用紙(500個の項目の人性検査や症状、行動評価尺度検査)を作成して、ある逸脱をしなければならないか考えてみたらどうですか。

私:そうします。

 

(1週間後)

先生:どのように過ごしていましたか?

私:顯忠日前日までは憂鬱で、そのあとはよかったです。前回お話ししなかったことがあるんですが、ロボットになりたいみたいだとおっしゃったじゃないですか。他人に被害を与えてはならないという私だけの基準がひどくなってから強迫観念というべきか、日常に不便ができました。例えばバスで大声で話したり電話する人を見ると怒りが沸き上がります。首を絞めたいほどにです。実際にそうはできませんが。

先生:自責の念がありそうですね。

私:はい。1,2度くらいは静かにしてくれという言葉をかけますが10回に8回はできません。そんな自分に対する自責の念がひどいです。会社で聞こえるキーボードの音にも敏感になって業務に集中できず、うるさい同僚に直接話すまでしました。話してからはすっきりしました。

先生:うるさくする人に静かにしろと言えなかったからって誰がそのように苦しみますか?まるで「どうすれば私を苦しめられるだろうか?」の悩みの中にいる人のようです。大半の人は卑怯です。しかし自分が卑怯であってはならないという圧迫感のために10回のうち1,2回くらい話しているのに自分を卑下するでしょう。

私:私は10回のうち10回すべて話したいです。

先生:そうしたからといって幸せになるでしょうか?10回なら10回したからといって「全部よくなった、楽になった」とは考えないでしょう。人々の反応がすべて同じはずがないからです。ほかの人を非難できうるのにあえて自分の責任に向けているんでしょう。話してみても聞かないような人たちは避けることも自分のための選択になりうります。根本的な部分を見つけてひとつひとつ整理することは話になりません。自分の体は一つなのに、あまりにも大きな役割を与えているのでしょう。

私:私はなぜこうなのでしょうか?

先生:優しいから?(この言葉には同意しない)

私:むりやり道にごみを捨ててバスで大声で電話してみましたが、気分はあんまりでした。それでも解放感はありました。

先生:あんまりだったのならわざわざやらないでください。

私:人が立体的であることは知っていましたが、受け入れられなかったようです。

先生:人を平面的に見つめるとしたら、その視線は人を見つめる時だけでなく自分を見つめる時にも適用されるでしょう。1度くらいは怖い人になっても大丈夫です。例えば私が理想的に考える人を思い浮かべながら「その人でも怒らないだろうか?その人でも全部受け止めはしないでしょ?」このように比較した後に怒ってもいいです。ほかの人が私をきついと思ったとしてもです。持っている経験と考えのうち最も理想的なことだけ得ようとしているようです。「私はこんな人にならなきゃダメ!」こんな風に。他人の考え、他人の経験を盗んできたからです。

しかしさっき言ったように人はみんな立体的です。表ではかっこよく見えても後ろでは汚い行動をしているかもしれないし、私が水増しして期待しておいて失望する場合もあります。そんな時はかえって「あの人も息をして生きてるんだな、しがない人なんだな」と考えれば自分にも寛大になれます。

私:私は自らを弱いと考えて、他の人たちがその弱い姿を全部知っているみたいです。なんか怖くいっても私の中の弱い姿を知っているみたいなんです。かっこ悪く見えるかと思うと怖いです。

先生:不安が隠れているからでしょう。私が何かを話したとき、自動的に「この人が私をどのように見るだろうか?離れていかないだろうか?」を考えるから不安なのでしょう。話すことがいい経験である可能性もあります。しかし結果が1方向であるはずはないことを知らなければなりません。Cという行動、Dという行動が出ることもあります。反応はこんなにも多様であることを悟り受け入れることが必要です。

私:そうなんだ。前回逸脱をお話しされて、ヒッピーパーマをしました。私も気に入って会社の人の反応も良くて嬉しかったです。そして前回お聞きになったことがあるじゃないですか、友人が考える私の長所は共感を上手にしてくれること?

先生:実際に共感が上手ですか?

私:はい。ものすごく。それで共感を隠すときもあります。気難しく見えるかと思って。

先生:しかし他人が私を表現する言葉にタイトルをつけすぎないほうがいいです。共感をより上手にやらなきゃと意図する瞬間からは宿題になるんです。そうなると共感能力がかえって落ちる可能性もあります。関心のないことには関心を見せないこともいいです。

前回した検査結果を見ると、実際より悪く見られようとする「フェイキングバッド」結果が出ました。大方会社の復職を目前にした人、学校に通うのが嫌な人々に表れるパターンなんですが、自分の現在の状態より悪く見られようとするんです。実際の状態より自分に対してより否定的に認識しています。「フェイキンググッド」は主に刑務所に収容された人たちから出る結果です。自分がもう大丈夫だということを見せようとするのでしょう。憂鬱より不安、強迫的な様相が表れ、社会的関係での不安が高いです。

そして女性を見つめる視覚が受動的です。「私の社会的な役割は女性だからこのくらいしかできない」という考えが強いです。性格を言うのではなく現在の状態を言っているのです。それ以外に大きな意味あることはないです。「とても不安で社会生活をするのが大変なんだな。そして実際より本人の状態をより不便に感じているんだな」よいうくらいです。自分の状態を本人の主観的な感じでとても敏感で憂鬱に感じています。狂ってなかったのに自ら狂ったと考えているのでしょう。

私:そうです。でも私が正常だと考えるともっとしんどくなります。「私はなぜこんなに普通じゃないのだろうか?」こんな風に。

先生:気分不全障害は調べてみたでしょう?どう思いましたか?

私:一度も私の症状とぴったりな説明がなかったのに、「これは私だ!」と思いました。そして説明を全部読んでからは悲しくなりました。「昔これを患っていた人たちはどれほど辛かっただろうか?」と思ったんですよ。

先生:必ずその心配までしなければなりませんか?

私:間違ってますか?

先生:是非の評価はありません。独特ってことです。心配し始めたら終わりがありません。過去ではない今の自分の現在の視点を見つめたなら、私の個人的な経験もより肯定的に見れます。過去には自分を表現できる病名を知らなかったけど、今はわかったということも肯定的に見ることができるでしょう。

私:あ…、両家的な感情の原因は何でしょうか?

先生:自責の念と似ています。「首を絞めたい」と思うには自動的に自責の念が芽生えるでしょう。腹が立ってもすぐ罪を犯した人になってしまいます。一種の自己処罰的な欲求です。私自身にあまりにも強力な超自我が立っているためです(実際私が積もらせてきたことでなくてもあちこちでよりよいことを借用して理想化された私の姿を積んでおいたということ)。

しかしそれは言葉通り理想であるだけで、現実ではないです。だから毎回理想化された基準に到達することが失敗しながら自分に罰を与えているのでしょう。そうやって厳格な超自我があると、あとで罰を受けるのが満足する状況まで行く可能性もあります。例えば愛されることを疑ってわざわざ相手に悪口を言われるまで行動しながら、相手が私をあきらめたらかえって安心する状態までいくようになります。実際の私の姿より外から制御することがとても多いです。

 私:そうなんですね。一人が好きなのに一人が嫌いな感情は?

先生:はい。程度の差があるだけで多くのことがそうではないでしょうか?人々と関係を結んで生きていかなければならないけど自分だけの空間も必要だからです。これもまた共存するしかないでしょう。

私:私の自尊心が低いのでしょうか?

先生:極と極はかえって通じるといえるでしょう。とてもがプライドが高い人がかえって自尊心が低いです。自信がないからほかの人が自分を仰ぐようにしようとするのでしょう。逆に自分に対する満足感が高ければ、誰が自分に何と言おうが大きく影響は受けないでしょう。(結局私は自尊心が低いということ)

私:私がしたことが過ぎてみるとすべて意味ないように感じます。

先生:自分がすることの多くは実際自分が求めていたことというよりは、自分が作っておいた基準や義務感のためにやってきたことである可能性もあります。

私:外見の強迫観念もひどいです。化粧をしないと外に出られない時期もありましたし。太ったら誰も私を見てくれないみたいです。

先生:外見のために強迫観念が表れるのではありません。理想化された自分の姿があるから外見に執着するのでしょう。その基準の幅を狭く高く作っているんです。「50キロ以上は失敗だ!」こんな風に。結局あれこれ少しずつやってみながら自分が求めるものがなんなのか、どの程度にすれば楽なのか調べてみることが重要です。自分の趣向を知り、不安感を低くする方法もわかれば満足感ができます。誰がどのような指摘をしても受け入れたり拒否したりできるようになります。

私:暴食も関係ありますか?

先生:そうです。日常の満足度が落ちれば最も原始的な退行に戻ります。食べて寝る本能的なものにです。満足感の中枢を最も楽なところで見つけるのでしょう。運動やプロジェクトのようなものが助けになることもあります。長期的な目標を通して克服するのがよいでしょう。

私:わかりました。運動をまた始めないとですね。