なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【陳腐で後ろ暗いウソ】

 仕事始め式を終え社長と目が合った。私は社長が怖い。もともと大人が怖くて(しかし私が大人になってしまった)強く見える大人はもっと怖い。しかし社長はものすごく強く怖い。とにかく今年の夢は何かと聞かれて戸惑ったら、夢だとおおげさか?といいながら目標はなにか聞かれた。なのでただちいさな目標は精神や身体が健康なことだといい、なんでも言葉を続けなければならない気がしてベストセラーを作りたいといった。しかしその言葉がなぜこんなに恥ずかしいのだろうか?とても陳腐でおかしい。ありふれている。実際ベストセラーにそんなに関心ないのに。ただ好きな本を作りたいと言ったら根掘り葉掘り聞かれそうで終わらせやすい解答をしただけだが何か恥ずかしく不便だった。うぅ正直になりたい。どんな質問を受けても負担なく正直に話す人がうらやましい。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【おばあちゃん】

 おばあちゃんはいつもあまり話さない。他人の陰口を言うこともない。私が父は何点くらいの婿かと聞いたら、あなたの考えはどうかと聞くので堂々と0点だと答えた。おばあちゃんが笑って陰口を避け続けるので「私がお父さんのような男性を連れてきて結婚すると言ったら?」というと「…だめだ」と言った。おもしろすぎるおばあちゃん。

 昼にはスンチョンに行かなければならず一緒に家を出た。静かな道を歩いているとおばあちゃんがふと「ここにると退屈だから行こうと言ったんでしょう?」と言った。私は絶対に違うと、一人で旅行する機会がもうないかもしれないからそうしたのだと言った。そして気がとがめたのか「退屈だから行くのでは絶対にない」と3回も行った。実際半分はその通りで半分は間違った話だ。おばあちゃんと話してみるとすぐに沈黙が訪れ、ここは本当にやることがない。久しぶりに一緒にいるのにスマートフォンや本ばかり見るのも嫌で。おばあちゃんとたくさん話をしたかったけど、以前はおばあちゃんが面白い話もたくさんしてくれたのに、もう話のタネが尽きたのかもっと話さなくなった。しかし本当に一人で旅行する機会があまりないかもしれないという話も正しい。

 とにかく私たちは一緒に歩いて、祭りをやっている会館の前に到着した。おばあちゃんおじいちゃんが本当に多かった。そこで「おばあちゃん元気でね」抱きしめて挨拶した後汽車の駅に向かって歩き続けた。後ろを振り返るたびにおばあちゃんが早くいけと手を振った。私もおばあちゃんが小さくなるまで後ろを振り返り続けた。

 昨日した会話が思い浮かぶ。「おばあちゃん最近一番幸せだった瞬間はいつ?」と聞くとおばあちゃんは毎日一人でいるのに幸せなことがどこにあるのかといった。その通りだね。気後れして「私が来て幸せ?」と言ったら「うん。うれしい」と言った。「幸せとまではいかないみたいだね?」というと「うれしいのが幸せなこと」といった。おばあちゃんを思うと胸が痛くなるのが憐憫の様で嫌だが、愛だと考えると少しはましだ。愛から来る憐憫はどうしようもないことだ。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【夢】

 過去に長くとどまる夢を見た。母と姉と私が出てきた。もっと多くの人が出てきたが思い出せない。母の若い姿を記録したくてカメラを持ったがレンズの中には映らなかった。過去は既に過ぎ去ったから、私たちは実在しないある空間にしばらくとどまっているだけですぐに消え去るから、カメラに移すことはできないと感じた。

 しかし私たちは楽しかった。今を記録することも記憶することもできないが、過去のある時点に一緒に集まっていることがうれしかったのだろうか。不思議な風景ではあった。幼い私と姉、しわ一つない母。これを書いた当時も夢は少しずつ記憶を消すのでこれ以上思い出せない。母の若く白い顔をもう一度見たい。悲しく美しい夢だった。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【修飾語がない人生】

 好きだった作家の新作がもうすぐ会社から出る。担当チーム長は2月の初めに作家と一緒にブレインストーミング兼会議をすることにしたので時間になったら参席してくれとおっしゃった。どうしても作家が好きな人だし20代だから若いアイディアをやみくもに頼むとおっしゃった。

 会議に参与するのは面白くうれしいことだが「若い」アイディアという言葉にのどが詰まるような気分になった。負担を感じたせいだ。いいアイディア、ほかの人が考えられなかった斬新な意見を出さなければという負担。私がいつも抜け出せなかった単語の中の一つだ。

 友達にこの話をしたらなぜこのようなことには必ず「若い」がつくのかと言った。年齢から出るアイディアはないのかと、ただ若者だろうが専門家だろうがそんな修飾語を抜きにして何人かで集まって言い合えばより良いアイディアがでてくるんじゃないかと。その通りだ。私たちの前にはいつも修飾語がつく。私もやはり例外ではない。若いということは変えることは出来ず限定的な修飾語だが、私が言いたいのはその修飾の中に込められた意味や期待だ。学歴や専攻を例に挙げることができる。文創科卒業生はみなレベルの高い文章を書き英文科はネイティブレベルの会話をすると考える単純な考えはかえって当事者たちの実力に立ちはだかる。負担に感じるためだ。

 私が文創科ということを明かしたくない理由でもある。姉もそんなことを言った。ソウル芸大ボーカル専攻者たちはうまかったら当然に思われ下手だと無視されると。いつも評価の視線を耐えなければならないと。多くのものがそうだろう。だから好きで選んだ専攻を楽しむことができず、本人の実力に自信がない彼らはやたら穴を探して隠れる。

 今日フェイスブックに登録した学歴と職場を消した。私の前につく修飾語を消したかったからだ。それなりの学校と職場を提示することは私に一時的な優越感を与えてくれたが、劣等感もやはり与えた。専攻が文創科なのに文章を書けない私自身に対する非難と職場が出版社なのに本をよく知らない自身に対する嫌悪。しかしこんな修飾語が一部影響を及ぼすとはわからなくても個人をすべて説明することはできないということは知っている。会社で会った人の中で私が最も嫉妬した(絵も上手で文章もうまく感受性も豊かできれいで愛らしい)女性社員は地方大出身だった。そして恥ずかしくも私は私が感じていた劣等感を私より低いその職員の学歴一つで挽回しようとした。学歴は思ったよりたいしたことないねというよくない考えをして、どうにか優越感を感じようと。

 これを頭では本当によくわかっていながらも、今でも私につけられた修飾語だけで私を評価する多数の視線を感じる。そして私もやはりその視線から抜け出すことはできない。嫉妬した人が私より低い学歴だった時感じた安心感、関心のなかった人の高い学歴を聞いて突然その人が違って見えたこと。そしてその乖離感の中で私自身を自責した日々。心から変わりたい。いや変わることができると信じている。私は今会社で親しくしている彼らの学歴を知らない。そして特に気にならない私自身を感じる。全部ではなくても少しずつ変わっている。変わらない部分だけ見て辛くなるよりは変化する部分に焦点を合わせ希望を抱かなければ。多くの人々がどんな修飾語もなく自信をかっこよく堂々と感じる日が来たらと思う希望を。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【苦痛と癒し】

 足りなかったと実感するときがある。それが愛だろうと、仕事だろうと、すべて終わってから「あぁ、あの時至らなかったんだな、あの時私が間違っていたんだな」こんな感情は苦痛と癒しを同時に与える。また戻れないという苦痛ともう同じ間違いを繰り返さないんだナという癒し。それが仕事なら癒しが大きいが、愛なら苦痛が大きい時が多い。また繰り返さないようにしないとと気づく瞬間相手は私のそばにいないからだ。

 戻ることのできない愛のうわべを黙って抱いて私たちができることなど特にない。黙々と日常を持続したり、戻ってこない感情を捕まえるのに一生懸命になったり、自分自身にかじりついたり。

 そういうとき本を読む。解決できない感情を他人に終わりなく吐き出すことほどの拷問はない。私や相手にとってすべて意味のない感情消耗の繰り返しになるだけだ。しかし本は違う。私の考えと、私の状況のような本を薬を見つけるように見つけて迷って紙がすりへるほど読んでまた読んで、列を作ってまた並んでも本は私から顔を背けたりはしない。嫌がったりしない。結局長い時間を使って解決策を得て、治療されるまで静かに長い間待ってあげる。本の最も大きな魅力のうちの一つだ。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【孤独はとても特別な場所】

 壁に目がついている。わからない彼らの携帯電話の中に、事務所のパーテーションに、街をふらつく空気の中に。孤独が目を覚ますと恐怖もともに顔を出し、数多くの目はまた瞬きをし私の文章と表情を嘗め回す。

 私にとって孤独の場所は10坪の部屋の中、私の背丈ほどの布団の中、歩いていてぼんやりするような空の下、人々の間に浮かんでいたと思うと感じられる異質の境界。無視したり、自責したり、ポケットの中に入れた手をもぞもぞさせて取り出せない瞬間、私の声を録音して空っぽの部屋の中でその音を聞くとき、カフェで焦点の合わない彼らの目と合った時、視線を怖がるが、そのどんな視線もないとわかったとき。このすべての場所でくみ上げた孤独が果たして特別になるだろうか。芸術家たちだけの特権ではないだろうか。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【愛の問題】

 考えてみると多くの問題を愛で決定した。理性的に損得に左右されず今の私の気持ちが向かうままに選択した。理性の問題が介入したのは学校と会社だけだった。しかし最初の理由だった自尊心とお金のすぐ後ろには夢と文章があった。人生で2番目に重要なことを選択するのも簡単ではない世界だ。

 私が愛した人たちも同じだ。私は彼らのまなざし、情熱、愛に向かって飛び込む勇気とともに愛した。ただの一度もこの程度なら大丈夫だろう、と考え半分だけ満たした感情で相手を愛したことはない。受動的だったとしても全力を尽くしてともに分け合った。私にきちんと計画して整理された未来が描かれなかったのもこのような傾向のせいではないだろうか。

 気持ちが動く人に会って、気持ちが動くとき文章を書いて、彼に合う音楽を聴いたり映画を見て、いつも愛の力で動く人でありたい。人生の無数の余白に理性的な力がやたらに割り込むなら、私が持っている輝く力と余裕さえも失うように思う。そのため理性的に貧しくても感性的に輝く輝く人でありたい。私と似た人と一緒に手をつないで進んでいきたい。理性的なことと感性的なことに優位を問うことはできないが、明らかに質感は異なる。私は愛と感性に満たされた質感をより細密に感じて楽しむ。