なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

山荷葉 和訳 作家の言葉

’僕にとって音楽とは?’

多少飽きて見えるかもしれないこの質問はある時僕にとって大きな宿題だった。

 

初めてベースギターを握った中学校時代。

その時僕にとって音楽は楽しい遊びだったが、歌手を職業にし始めた瞬間から僕にとって’音楽’という二文字は世界の何より重く近づいてきた。長い時間悩む間’音楽の本当の意味もわからないまま今までしてきたのではないか’という考えに自壊感まで押し寄せた。

 

’音楽の三要素 旋律、和声、拍子が基本になる…。’

 

こんな硬い事前的意味より、僕にとって音楽が何なのかを知りたかった。疑問符を浮かせたままかなり長い時間を過ごして、用心深く僕は’音楽は話’という答えを見つけた。

共感して、交感して、想像できる話。

どんな話を、歌にせよ聴く人が話者の話に感情の揺れを得たらそれは良い音楽だという答えも一緒に得た。そして良い音楽から始まった共感と交感はまた音楽の最も素敵な力を引き出す。まさに想像力を爆発させる力。

 

’この歌が始まる前にどんな話があっただろうか?’

’この歌が終わった後にはどんな話が続くだろうか?’

 

音楽は始まりと終わりの境界線が曖昧だ。

そのため聴く人にたくさんのことを投げかける。想像させる。

だから良い音楽を聴いたら煮えたぎる感情に、その話の主人公がまるで僕であるかのようで、その歌がまるで僕の世界みたいだ。

 

僕は良い音楽を作りたいという欲が溢れて、音楽を作りながらいつも話の前と後を想像した。そしてそれが習慣になった頃、この想像を連結させて一つの世界を作ったら面白いのではないかと思った。

 

始まりと終わりが曖昧だった僕の音楽を貫通する一つの話があったらもっと複雑な感情を引き出せるだろうし、状況と人物が与えられたらもっとはっきりした絵を描けるから。それすればそれもまた違う音楽鑑賞法になれるのではないかと思った。

 

その欲にこの本を書いた。

音楽の始まる前と終わった後の想像を聴く人に渡してあげる訳ではなく、作った人が教えてあげたら風変わりではないだろうかという軽い気持ちで。(そしてすぐグチャグチャな僕の文章力に挫折した。)

 

想像力の帰属。

それをしてみたかった。

 

ちょうどこの本を読んだあなたが話の所々に紹介された曲を知っているなら、もう一度その曲を聴きながら本を読んでみるよう…そして以前と違う感情を感じるよう願う。あるいは前よりもっと深い感情の揺れを感じられるよう願う。

 

たとえ粗い文章だけど小説なのか、歌集なのか、エッセイなのかジャンルが曖昧なこの本が彼と彼女、そして僕とあなたの物語になれるように。