なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 3週目

私が私を監視します

 

私の自己検閲はいつから始まったのだろうか?昔のメールを調べてみたら10年前くらいに書いた文を発見した。人があまりにも傷を受けるとその傷を抑圧してしまうというが、私がそれのようだ。全く覚えていないことだったためだ。

 私は生まれた時から幼児性アトピー肌だった。当時はアトピーが今のように普遍的ではなかったため医者は軽く考え、時間が少し経ってからアトピーだという事実がわかった。

 幼い子供のアトピーがみんなそうであるように手足の関節部分と目の周りはいつも乾燥して赤くなっていた。友達はしばしば「皮膚どうしたの?気味が悪い」といい、さらに私が好きだった男の子は露骨におばあさんみたいだと言ったこともあった。

 5年生の時だっただろうか、男子と一緒に呼吸を合わせて踊らなければならない行事だった。私のパートナーが私とやるのが嫌だったのか、私の手を握らず踊るふりだけした記憶がある。その時から羞恥心が生まれた。私自身が変で、不細工で、おばあさんみたいで、隠さなければならない存在のように感じた。

 中学生の頃はこんなこともあった。その当時友達と一緒にやったオンラインコミュニティーには匿名掲示板があったのだが、誰かが私の悪口を1ページ近く書いていた記憶がある。ひとつひとつ全部列挙するのも辛いが、「顔はそうは見えないが体がデブすぎる」、「ちょっとは洗え、肘が黒くて見てられない」くらいが思い出される。私の外見をそんな風に評価されたという事実にとても羞恥心を感じた。

 その事件は私の記憶の中から消されたが、無意識のうちに残っていたのか私も知らないうちに垢すりタオルで肘を毎日毎日こすっている姿、もしや鼻に異物があるのではと鏡を数十回以上チェックする、いつも他人に私がどのように見えているか悩む私の姿があった。そのように検閲してみるとついに私の声まで録音して聞く状況に至った。私の心が苦痛をそのまま実感していても誰かが私をあざ笑っているという考えのために怖くなる。

 

先生:先週の映画サークルはうまくできましたか?

私:はい、うまくできました。

先生:いうことが多かったですか?

私:いいえ。微妙だったといったら進行役の方がどこが微妙だったか聞いてきて、今整理がうまくできないとしてパスしました。そしてほかの人が話すのを聞いてみてなぜ微妙だったのか自然に浮かんできて話しました。あとで録音したことを聞いてみたらたくさん話していたんです。

先生:なぜ録音したんですか?

私:私会社で重要な会議をするときや先生と話すとき、全部録音して家で聞いてみます。普段とても緊張するので話した内容が思い出せなくて。

先生:酒に酔ったわけではないじゃないですか?あえて録音までする必要があるでしょうか?

私:今は来院記録を整理しようと録音していて、他の場合には緊張して目の前が真っ白になって何を言ったのかわからなくてやり始めました。

先生:ある意味自分自身をCCTVを撮るように検閲していますね。終わってから「私うまくできたかな?どんな話をしたっけ?」こんな風に。忘却を通して自由を手に入れることもできるのに、疲れそうです。

私:安堵と自責の念が同時に起こるようです。うまく話せたら安心して、できなかったときは自責して。

先生:すでに起こったことはそのままスルーするといいでしょう。

私:わかりました。これもとてもロボットみたいですね?

先生:ロボットみたいですって?

私:はい。

先生:ロボットみたいだという話も大きな意味を持ってした話ではないですが、自分がより大きな意味を付与することもあるでしょう(先生が前回ロボットのようだといったことを考えていた)。

私:そうです。私を皮肉る言葉はとても考えてずっと言い続けて。なぜ自己検閲をするようになったのでしょうか?

先生:空気を読みすぎるからでしょう。自分に対する満足度が落ちるからでしょう。自分の人性は自分のものじゃないですか。自分の体も自分のもので、その責任は自分がとるものでしょう。今は合理化や中間段階がなく極端にいってしまいます。自己検閲が無条件に否定的なことではないですが、合理化をしたり違う方に考えてみたりするいろいろなスイッチがあれば選んで押すことができるのに、今はスイッチが一つしかなくてそれをただつけたり消したりだけしているんでしょう。もしかしたら原因があるのにただ「私は今悲しい、涙が出る、腹が立つ」と原因より結果物に焦点を当てすぎているから今の感情がより深刻になっているようです。

私:(泣いている)極端性と検閲が生まれ持った気質のせいもありますか?

先生:性格は気質もありますが、大きくなるにつれて作られた部分も大きいです。

私:お姉ちゃんと妹と話をしてみると姉妹全員そっくりです。だから3人で恋愛の話をするとダメなんですよ?同じように極端だから客観的な判断ができないということです。ただ「生まれたときからこうなのか?違うなら私たちに一体何があったのか?」と考えます。

先生:今現実を見つめる観点が極端なため姉妹の話をするときも「そっくりかもしくは違う」このようにだけ評価している可能性があります。

私:あぁ、私の観点ですか?

先生:はい。

私:私がそのように極端だということですか?

先生:そんな風に極端だというのではなく、そんな傾向があるということです。いったん仕事と休憩の空間的な分離が必要です。会社でストレスを受けたら家に帰って休まなければならないのに、休みながら録音したものを聞くということです。そうすると二つが混ざってしまいます。羞恥心と不安が同時に感じることもあります。

私:わかりました。今週は特に何もなかったのに眠れなかったです。明け方4時に目が覚めたら6時7時まで眠れなくて映画をみたりしました。もどかしいほど眠れなかったです。

先生:昼にとても疲れるでしょう?

私:思ったよりは大丈夫でした。もともと人が突然声をかけてきたら顔がものすごく赤くなるんですよ?今週は赤くなりませんでした。

先生:何時間くらい寝ましたか?

私:平均4,5時間?5時間寝て起きて10分、20分に分けて寝るタイプです。そして会社から家まで歩くと40分くらいかかるんですよ?田畑でいっぱいの田舎道ですが、歩くと頭が明るくなって気分がいいです。一人で家にいると憂鬱になり始めます。なぜそうなるのか考えてみたんですが、私がうらやましい人のインスタアカウントを探してみていたんですよ。それを見ると憂鬱になるようです。

先生:うらやましく思う人はどんな人ですか?

私:もともと入社したかった会社の編集チーム長です。その会社に転職しようともしてみたんですが面接で落ちたんです。きれいで、センスも良くて、チーム員も本当によくみえました。多くのことがうらやましくて「私はなんなの?」と思いました。

先生:今働いている会社と業務満足度はどうですか?

私:業務満足度は高いですが、少し疲れます。

先生:うらやましさは誰もが感じるものでしょう?理想郷を持っているのだから。しかしうらやましく思うことと自分をずっと比較して卑下するのとは違います。今は憧れる程度に感じられ、ひどくは見えないです。

私:どの程度だと深刻なのでしょうか?

先生:行動に出ないと。しかし「私は大丈夫」程度に思えるなら大丈夫です。うらやましく思う気持ちをあまりにも否定的にだけみないとよいでしょう。自分を発展させられる一つの原動力になることもあります。

私:はい。そして会社のチーム長を尊敬しているんですよ。その気持ちが健康に作用するとき「あぁ似たい、私もあんな風にならなきゃ」と思うのに、ある日には「あぁなんで私はあんな風に考えられないんだろう?」こんな風に考えながらとても憂鬱になります。

先生:誰でもそんな時期を過ごすでしょう。挫折して克服してノウハウができることもあります。そして最近気分がよくないから、同じものでも見る観点が違ってきたのでしょう。

私:それでは情緒が重要ですね?

先生:とても重要です。自分の感情と状況によって柔軟な事柄を受け入れる方式は千差万別です。

私:感情の状態をいい方に変えられるかわかりません。

先生:いいよりは過度じゃなく?極端ではないように変えるのが重要です。

私:それができません。そういう風にはできないと思います。

先生:すでにできないと言っているじゃないですか。できますよ。今週はそのようにちゃんと過ごせたんですから。先週はよくなかったといいましたよ。

私:そうです。そして事件が一つありました。映画サークルのフェイスブックにインタビューが上がるんです。そのインタビューにサークルの人たちがいいねを押したので入ってみたら、みんな学歴がすごかったんですよ。知ってみるとサークル代表がいい大学を出たんですが、事業初期で周りの知り合いに助けを頼んだみたいです。だからみんな学歴がよかったんです。その事実を知ったから突然委縮してサークルに行くのが嫌になりました。だからどこかに行くなら私の学歴も話さず相手の学歴も聞かないようにします。優越感と劣等感が同時に表れるんです。例えば会話の相手が楽で会話もちゃんと通じて私が楽に話したとします。しかしあとでその人がソウル大を卒業したことがわかったら「私がした話がすべて馬鹿みたいに聞こえたのではないか?」と思ってしまいます。

先生:大学出たじゃないですか?万が一事情があって大学に行けなかった人と話したのに、自分の話と行動によってその人が「あなたは大学に行ったじゃない!」と言ったらどんなふうに思いますか?

私:「それが何の関係があるの」と思います。

先生:そうでしょう。高校の時の成績で大学に行ったけど、その後自分がどんなことに興味を持っているかによって深さと広さは本当に多様になります。高校の時の成績が残りの人生を保証してくれるわけではないじゃないですか。

私:そうでしょう。

先生:自分より相手が優位に感じられるなら同じ条件でほかの人を比較するといいでしょう。例えば家庭の事情が複雑で高校も卒業できなかったけど、一生懸命努力して何かを成し遂げた人がテレビに出ました。今の観点で見るならその人の努力は評価切り下げになるしかないでしょう。しかし果たしてそうでしょうか?

私:いいえ、違います。

先生:そうでしょう。自分が有利な時はそんな基準を全く適用せず、不利な時だけ持ってくるではないですか。もちろん社会の雰囲気上いい大学が有利な面はあるでしょう。しかし自分が今転職をするなら学歴より履歴が重要じゃないですか。

私:そういう風に考えられるよう努力しないとですね?

先生:自動で思うことは少し減らしてみる努力をするといいでしょう。

私:私自身が変わらなければならないようです。私は学歴がコンプレックスで編入したんですよ?最初は本当によかったです。しかし大学は外的な要因じゃないですか。熱望したことを満たしても憂鬱は続きました。

先生:熱望したことを満たしたということは、実際に自分が熱望したことだったのかが問題です。

私:それがよくわかりません。

先生:例えば自分が行こうとする目的地ではなく、ただKTXに乗ることが目的だと間違って考えていることもあります。もしかしたらそれは自分の考えではなく社会的な先入観や認識に囚われている可能性もあります。

私:しかし私は文化創造科に行ったのは本当によかったんです。

先生:だからです。誰かの言葉より自分がよくて嬉しいことがより重要です。人から見える姿よりは自分の欲求を先に充足するといいでしょう。

私:さっきも言いましたが私はそれがよくわかりません。「これを私が望んだのか、人が望んでいるのか」という部分です。

先生:できないと言いながらも認識する部分が少しずつあるじゃないですか。文化創造科に行ったとき嬉しかったことと今している仕事に満足していることが最も正直な感情ではないでしょうか。

私:まさに完全に感じられる感情ですか?

先生:はい、楽しさです。

私:楽しさよりほかの感情が先立つならやらない方がいいでしょうか?

先生:どうでしょう。時々はほかの理由で嫌がることもやらなければならないこともあるじゃないですか。

私:映画サークルがもうすぐ終わります。そのあと新しいサークルが始まるんですが、やりたいのかやりたくないのかがよくわかりません。

先生:サークルの長所・短所をずらっと書いてみて、一つずつ読んでみると答えが出るかもしれません。どっちにしろ趣味生活じゃないですか。趣味生活がストレスになったらだめです。しかしやらない理由が恐怖に屈服するからという理由ではないといいです。

私:私が被害意識がひどいじゃないですか。このサークルでも人が私を嫌うようだと思ってしまいます。

先生:どんな状況で?

私:サークルが終わって酒を飲みに行きました。酔いたくなくて最初は酔わなかったんですが、結局酔っ払ったんですよ?終盤に酔って記憶がゆらゆらしてはいるんですが、代表と進行役がもう私を送れといった目線交換をしているのを見ました。ぼんやりしたその記憶が恥ずかしくて、私を嫌っているように感じました。

先生:酔っているのを嫌っていたのではないですか?

私:はい?

先生:友達が酔った時心配する気持ちで「あんた早く帰りな」という場合もあるじゃないですか。

私:あぁそうですね?なぜそう思えなかったのかな?酔ったのが嫌だったのに。私もそうでした。酔うのを嫌がったんでしょう。

先生:普通夢が現実になる前は「叶いさえすればこれ以上望むものはない」という考えをたくさんするじゃないですか。万が一夢がかなった時もその時の気持ちが思い出されるなら、今の人生がボーナスのように感じられるのでは?自分が何かがうらやましいとき、20歳の自分が今の自分を見つめるならどうでしょうか?「大学出て出版社勤めてるね?」というのではないでしょうか?

私:(突然涙があふれる)本当に喜ぶでしょう。

先生:「あの人にどうやって入ったのか聞いてみたい!」と思うかもしれません。しかし今の自分は自分の人生と過去をまるで失敗したかのように見ているじゃないですか。しかし幼いころの基準では今の自分がものすごく成功した人生である可能性もあります。

私:時々こんなことを考えます。35歳の私が28歳の私を見たらとても残念がるのではという考えです。今も万が一20歳の私に戻ったら「あまりにもそんな風にする必要ない」こんな風に話してあげたいんです。しかし実際はこれがうまくいかないから…

先生:ほかの人とだけ比べるのではなく、自分をもって比較してみるといいでしょう。

私:それなら被害意識は?

先生:ゆっくり考え続けないと。性格である部分もあるから。長い時間不安を感じて生きてきたじゃないですか。新しい経験が過去の経験を覆い始めたら、もしかすると自分を見つめる時や人に対するとき今よりずっと明るく見つめられるのではないでしょうか?