なななのゆるゆる翻訳

自分が翻訳したいと思った歌詞・本だけをゆるく訳してます。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【ロマンと冷笑】

 私たちは絶えず一瞬で全体を判断する。多くは手から本を離さない人でも、私の前でインスタグラムのフィードばかりずっと読んでいるならただそんな人として映るだけだ。だから好感や運命といったロマンティックな合理化だ。ただタイミングというだけなのに。私が特別に見えてあなたが特別に見える、その輝く瞬間をともに迎えた幸運であるというだけ。それはただ偶然というだけ。しかしその美しい偶然が多くの縁を結んでいくことは事実なので、冷笑する必要はない。

 とにかく人生はロマンと冷笑が行きかう。その熱さと冷たさの境界を乗り越えるとき退屈さは姿を消す。最も恐ろしい瞬間は生ぬるい瞬間だ。歩く感じる隙も冷たく回る隙もない、最も生ぬるく無感覚な瞬間。その瞬間の私たちは死体同然だ。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【聞く、聞いておく】

 私は本質より態度を重要だと考える。いや、態度の中に本質があると考える。とても些細で、何でもないような視点から本心がにじみ出るのだと。だから私は相手のまなざしと手ぶり、話し方と動きに集中して執着する。

 誰かを愛するなら質問が多くなる。しかしその質問を必ず言語で吐き出さなければ完全になるわけではない。時には全身から噴き出す質問もある。頬骨をついて私のほうに向かう顔、口に集中する目、うなずく顎、途中途中聞き返す言葉の濃度。そういう時私はただ私の話を休みなく吐き出しなんであろうとよいその人の質問に答えればいいだけだ。どんな言葉も質問になってどんな言葉も答えになる関係、何かをあえて聞かなくても自然に私の中に込められたたくさんの話をほどかせてくれる相手、休みなく私の口と心を注がせてくれる相手。

 反対に私たちが飲み込む数多くの質問も思い浮かぶ。誰でも質問をする。そして質問を受ける。私の考えに人々は思ったより恥ずかしさが多いようだ。全部ではないが多くのものがその瞬間のどが詰まったりこそばゆくて、または相手が嫌がるかと思い、それしきの恥ずかしさや自尊心のせいで多くの質問を飲み込む。友達は私に質問王というあだ名をつけてくれたが、私もやはり数多くの質問の山の中でかろうじて何個かを選んで取り出すだけだ。よりひそかで重く個人的で幼稚でありふれた質問であふれているにも関わらず。

 なので質問しなくても私の中の答を自然に導く人、そして私が質問しなくても私の頭の中の質問に答えるように答えを吐き出す人と会うと嬉しい私たちがつながっているよいう暖かい気分になる。

 そして少しほろ苦い。私たちが飲み込んだ質問はみなどこへ行くのだろうか?私たちの心のどこかに散らばって消えたり深淵のうちに沈むだろうか?ある行動や習慣として発現されはしないだろうか?その沈黙がある人との深いつながりを妨害しはしないだろうか?私はそれが本当に怖い。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【フィクション】

 あの頃私が持っていた才能とは他人の気持ちをひっかくことだけだった。暗い夜ともしびのように私には人々の弱点があまりにもはっきり見えて、それに突っ込んで攻撃することを楽しんだ。なぜそんなことをしたのかと誰かが聞いたなら正確に答えるのは難しいが、多分私も私をよくわかっていなかったからだと思う。私が私を知らないから世界が知っているふりをするのを耐えることができず、確信する者たちを見ると息が詰まって吐き気を催した。私は彼らのしんねんのなかの弱点を幽霊のように探し出してけなし、彼らが戸惑ったり時には崩れ落ちる姿を見て慰められた。本当に粗悪な人生だった。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【とても暗い時期】

 いつも戦争に見舞われる。戦力は1対数十、もしくは数百。ぽつんとした一人が数えられない多くの敵と戦うことは最初から不可能だ。相手が多くなるほど戦闘力は急減し、すぐに意志を喪失する。いや。最初から戦闘力などというものは存在しない。勝つことはできず、勝つ自信さえない。一生は怠惰な主人のカバンのように整理されていない物でいっぱいになっている。いつ古ごみが出てくるかわからず、誰かがカバンを覗き見るのではないかと怖くなる。古いカバンともよく似ている。なめらかな底はなんでもぽいぽい投げられ、投げられるほど擦れて傷ができてほつれるが誰も気づかない。角度が違って投げられると誰かに発覚されるが、それだけだ。カバンを変える所与にならない以上底を見られないよう注意ぶかくそして不便そうに体を動かす。この文章を書いていい比喩だとくすくす笑ったかと思えば、いやカバンという比喩も間違っている、気づいた

 バスに乗っていくとき誰かの前に立つと書いていた文を止める。前に立った人の目線が私の携帯に止まる。書いている文章を見られるのではと怖くなる。秘密でいっぱいに満たされた日記のように、暗闇が込められた文章を彼が見るのではないかと怖くなる。精神は一面に覆われた膜で包まれ、不透明な膜の中は誰も入り込むことは出来ない。膜を通してろ過される思考は本心とは異なり本心の残り物はそのまま精神に積もって腐る。なので思考はいつもすっきりと掃除されることは出来ず、残り物でいっぱいになった本心の中でいい考えが一向にろ過されない。ぬかるみをろ過しても黄色い水のように私からろ過してろ過しだした思考も濃く不透明な暗闇だ。だから文字を思考を比喩をでっちあげて隠す。そのように精製され包装された思考は一見するとそれっぽく見えるが、結局大したことない思考であるだけだ。

 明るく正直な人々の天真爛漫さに惚れて肯定的な人々の文章を見て熱狂するが本質的にその中に便乗できないという不安に座り込む。本当の暗闇を受け入れることができず、明るい世界に体を投げ出すこともできない。実際多くの人に大切にされたいと思いながらも、あふれるほど愛されたりながらも、他人にとても関心がありながらも違うふりをする。噓は噓を作りその嘘はまた嘘をつくり、もう嘘が自分なのか自分が嘘なのか、これは本心なのかろ過された思考なのか区分することができなくなる。なんでもなくありたい精神とものすごくなにかの気持ちは互いに衝突して精神の崩壊させ、ひねくれた均衡は壊れた表情を作り出す。壊れた表情はひねくれた行動を作り出す。ひどくひねくれた精神と身体を引き締めるため正しさを詰め込みまた積もらせ、固く積むことがができない城はあちこちねじれてまた崩壊して。

 結局自由を得ることはできないという結末を知りながらも意味なく道に沿って無作為に歩く。終わりは省略されている。新しい道を作ってみようと道ではないところを歩くがすべて深く荒れた砂利道はどれだけ歩いて掘っても道にならない。そのまま足に鞭打つだけだ。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【共にする】

 淡々としたい日があった。いや切実だった。単純で軽く冷たく無感覚になりたかった。感情移入は私にとって大きな主軸で日常を覆うほど巨大な影だった。ドラマを見たり映画を見るとき、歌を聞いたり写真を見るとき、誰かの話を聞いたり私自身の話に耳を傾けたとき、たやすく心が傾く。プンクトゥム(極めて個人的な経験に照らし合わせて受け入れるという意味で)のように脈絡なく突き刺す、慣れてうざったい自覚だった

 だから抱擁の囲いに包まれ安全に過ごした。その時は自ら入ったと思ったが、結果的には閉じこもったざまだった(閉じ込められたと表現したくはないが)。幸せになると思ったがそうではなかった。毎回私が間違ってなかったと確認しようとして限定された愛情を渇望した。私は何故こうなのかという口癖で生きてきて世界と二年に対する冷笑が深くなった。冷たくなりたかったのに本当に冷たくなると世界が凍り付いた。どこに手と足を置いても冷えて痛かった。腹が立ち悔しかった。

 今考えると当然だったと思う。私だけの垣根を作り、誰にも会わず、分けなかったことは、結局凍り付いた城を立てることと変わらないのではないか。人々の冷たい面にだけ過剰に執着して人生にどんな暖かさもなく冷気だけ残った。

 手に余る感情の種類が刻一刻と現れるたびに息が詰まった。解消の方法が必要だった。その時初めて病院を探した。以前は慣れていた吐き出すことが難しくなった状態ということを感じることができた。しかし一度始まると水があふれるようにこぼれ出てきた。一人とだけ分け合えばいいと思ったが、違った。

 その時から家族に友達に同僚に知らない人に私を吐き出し息を吐き出し、彼らの話を聞きながら新しい息で満たした。そんなふりと真似事ではなく真心を尽くしてそうした。自意識と憐憫でいっぱいに満たされた感情の結晶が少しずつ均衡を取り戻す気分だった。

 結局まともに生きていく方法は共にすることだと、すごく久しぶりに家族と旅行にきた今よりいっそう感じる。共にすることは利他心で、結局利他心は利己心を救援する。私から始まり私たちで終わるから。私と共にしようとする君に感動し、私をわかってくれる君なしではだめで、共にすることを選ぶようになるから。共に誤解して分け合って共感して遠ざかりながら現在を生き抜くことになるから。それが暗い息でいっぱいの世界で安堵の息を吸える方法ではないかと思う。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【私の犬、私のすべて】

 ブギは3才。スジは9才。ジュディンは15才。幼いころはジュディンをロケットジュディンイと呼んだ。エレベーターが開くと同時にスプリングのように飛び出す姿がロケットのようだった。それほど速く活発だった。

 玄関のドアキーを押してドアを開けると当然のように靴の間に座って私たちを迎えた。抱きしめてくれるまでたって私の膝をコンコン蹴った。何を食べているのかどれほどお化けのように知っているのか、サツマイモを取り出したりすごく静かにお菓子を開けてもいつの間にか走ってきた。チキンを食べるときも、肉を食べるときも。

 心臓の音は規則的で目は輝いていた。鼻はしっとりして足の裏とおなかはピンク色がまだ消えず赤ちゃんのにおいがした。誰かが教えたわけでもないのに必ずトイレもしくはベランダで用を足した。おしっこがしたくなったらベランダの前に立って開けてほしいとドアを掻いた。時々吠えたりもした。嫉妬もすごくした。

 この姿は何十年間も私たちにはとても当たり前な風景だったが、とてもゆっくり少しずつ減ってきてもう見ることはできなくなった。首輪をしなくても私の歩幅よりおそ遅いジュディン、耳が聞こえず玄関を開けても出てこれないジュディン、部屋で寝ているとき私が近づいて「ただいま~」というとやっとびっくりして起き上がるジュディン、ミルクも飲まず肉も時々拒否するジュディン、何を食べていても大きく反応しないジュディン、じっとしていても聞こえる心臓の音と不規則な拍動、青い目と乾いた鼻、黒い足の裏とシミができて黒くなったおなか。これ以上おしっこがしたいとベランダを掻くこともない。吠えるのみたのもはるか昔だ。ただ、とてもたくさん寝る。ずっと寝ている。あまりにも寝ていて怖いくらい…。白く生えたひげを見るたびにどっと怖くなる。老犬という事実がこれほど自明の理なのに受け入れたくないせいだろう。

 生気にあふれたスジとブギを見ると以前のジュディンが浮かび胸が痛い。ジュディンの時間が私とは異なりあまりにも早いということを実感した。私が何かを食べていると素早く私の足元にきている子たちを見ながら小さくささやいても耳をぴんとさせるスジと速く走るブギから。

 一つの生命の生涯をすべて受け入れるには私はとても幼い。始まりと過程と終わりは至難で重さはとても重い。一瞬の幸せを楽しむには私の皿は小さく否定的だ。今3匹の犬と寝そべるこの時間が耐えられないほど大切で幸せだがそれほど恐ろしく漠然でもある。

 弱いという単語を繰り返し言ってみる。弱くなるのに弱いものが怖く嫌で恐ろしい私の姿を思い浮かべる。そうしながらも責任を取りたいという本心は変わることはない。みな送りたくない。

死にたいけどトッポッキは食べたい 付録:憂鬱の純機能【私の叔母】

 昨日は母の健康診断の日だった。同時におばあちゃんが上京する日でもあった。なれないものだとなんでも怖がる母が気にかかり、そうでなくても小さい母とおばあちゃんの二人が大きい病院の中をあちこち迷うことを考えると神経質になって半休を使って一緒に行った。

 おばあちゃんは3ヶ月に一回上京して検診を受け薬をもらう。おばあちゃんがいる地域には大きな病院がないからだ。おばあちゃんはアンサンからヨンドゥンポまで、そして今のイルサンまで病院を三回変えた。3か月に一回おばあちゃんを呼んで病院に行くことは末の叔母が請け負い、一番上の叔母が請け負い、私の母に受け渡された。

 近くに住むコ・アラおばさんはなんの連絡もなかった。私が理由を聞くと母はわからないと言い、おばあちゃんは自分を面倒だと思っているのだといいさみしがった。母の表情も複雑だった。その瞬間私の頭の中には「一週間に1度でもなく3か月に一回なのに、こんなに連絡が1度もないものなの?ひどい」と不満が浮かんだ。

 そうしていたら、その日の夕方に私の記憶の中のコ・アラおばさんが浮かんだ。本をたくさん読んだ叔母、いつもおばあちゃんといとこまでこまめに面倒を見ていた、もう過去になってしまった叔母の姿。

 叔母は私たち姉妹にとって特別だった。車もなく頼りない父に代わりあちこち一緒に行ってくれて、幼い私たちも理解できるよう簡単で多くの話を聞かせてくれた。父が母を殴るたびに、同じ路地に住む一番上の叔母には電話せずともコ・アラおばさんには電話してエンエン泣いたりした。今考えると幼いころの私にとってコ・アラおばさんは憩いの場のようだった。母より話が通じ賢かった2番目の母だった。

 そのように記憶を振り返ってみるとふと「あの人は変わった」が無用な言葉になることもあるんだなと思った。一途な人になったり、もしくはそうなることを望むことがある人にはとても酷烈な重荷になることもあるという考えが。

 人生がただ生き残ることになってしまったとき、生存が占める割合のせいでそれ以外のすべての要素は声を出せない時、その状態で時間は恐ろしく過ぎ去り結局多くのものが干からびて腐ってしまうとき、そんな状況でも一途を望むことは利己的な願いであり矛盾ではないだろうか。

 叔母の人生はこのように気を使って思い出さなければわからないくらいゆっくり叔母を覆っているかもしれない。いや明らかにそうだったと私は想像してみる。自分自身に対する希望が消えたら周囲のたくさんのものに対する信頼もともに消える。なにもしたくなく、関与したくなく、決定的に一緒にいたくなくなる。関係に対する欲求を喪失して徹底的に一人になってしまうものだ。

 このように簡単に悟れるものでありながらも、そして彼女の人生を全然しらない他人よりはかなりよく知っていながらも「それでもどうしてそうすることができるだろうか」と考えた私の怠慢な考えに失望した。違うふりをしても心に落ちた本心はいつの間にか体にしみわたり、朝に起きてからは蜂のように胃もたれを起こしてしまった。

 レベッカ・ソルニットは『遠くても近い』で「どんな感情移入は学んでこそするもので、その次に想像してこそするものだ」と言った。私の中にない種は絶対に育つことはない。だから私たちは一生他人と平行線を走るしかない。しかし私の中にないものを作り出す方法は想像と勉強だ。感情移入もやはり勉強して想像してこそするときがくる。

 感情移入はおのずからなるものだと考え私を動かさない多くのものに心を閉じて生きてきた。しかし私の中になかったものを作り出し連帯する瞬間にこそ大人になる一つの道である。私たちは多くのものと遠くても近い。そして家族であるほど近いけどはるか遠く、遠くにあってもいつの間にか横に座っていることもあるほど近い。

 私が理解できずだから移入できない感情を学んで想像すること。それが他人に向かう愛情で私の種と相手の種を干からびさせない唯一の脱出口だ。完ぺきに理解することは出来ないが、それでも紐を話さない気持ち。

 これを知ることと知ることができないことは天地の差だと考える。なのでいったん移入することができそうな人から始めようと決めた。私が愛情を持っていたが、いつからか振り向いて去ってきた人たちから。